あなたは誰?私はここにいる 姜尚中

2011年9月21日第1刷発行

 

表紙裏「ドイツ留学中の著者は、500年前のデューラーの〈自画像〉から啓示を受けた。『私はここにいる。お前はどこに立っている?』。絵の中の同じ28歳の男は、鬱々とした内面の森をさ迷う在日の青年に、宿命との対峙を突きつけたのだ。30年後、人気美術番組の司会を務めた著者は、古今東西の絵画や彫刻の魅力を次々に再発見していく。ベラスケス、マネ、クリムトゴーギャンブリューゲル、ミレー、若冲、沈寿官―。本書は『美術本』的な装いの『自己内対話』の記録であり、現代の祈りと再生への道筋を標した人生哲学の書でもある。」

 

目次

はじめに わたしたちは今、どこにいるのか

第1章 おまえはどこに立っている

アルブレヒト・デューラー〈自画像〉 

ディエゴ・ベラスケス〈女官たち〉〈ドン・セバスチャン・デ・モーラ〉

エドュアール・マネ〈オランピア〉 

イワン・クラムスコイ〈忘れえぬ人〉ほか

第2章 生々しきもの

ギュスターヴ・クールベ〈石を砕く人〉〈世界の起源〉

エドュアール・マネ〈草上の昼食〉ほか

第3章 エロスの誘い

グスタフ・クリムト〈ダナエ〉

エゴン・シーレ〈縁飾りのあるブランケットに横たわる二人の少女〉

ポール・ゴーギャン〈かぐわしき大地〉ほか

第4章 白への憧憬

白磁大壷 

長谷川等伯〈松林図屏風〉 

純白のチマ・チョゴリほか

第5章 不可知なるもの

マーク・ロスコシーグラム壁画〉 

パウル・クレー〈想い出の絨毯〉ほか

第6章 死と再生

ピーテル・ブリューゲル〈死の勝利〉〈バベルの塔〉〈絞首台の上のカササギ〉ほか

第7章 生きとし生けるもの

伊藤若冲〈群鶏図〉〈貝甲図〉 

熊田千佳慕〈メスを求めて〉〈恋のセレナーデ〉〈天敵〉ほか

第8章 祈りの形

アルブレヒト・デューラー〈祈りの手〉 

円空〈尼僧〉 

ジャン=フランソワ・ミレー〈晩鐘〉ほか

第9章 浄土的なるもの

与謝蕪村〈夜色楼台図〉 

ジャン=フランソワ・ミレー〈春〉 

犬塚勉〈暗く深き渓谷の入口1〉ほか

第10章 受け入れる力

ルーシー・リーの白釉の陶器 

ハンス・コパーのキクラデス・フォームの陶器

沈寿官〈薩摩焼夏香炉〉ほか

おわりに ここで生きる デューラー〈メレンコリア・1〉に寄せて

     アルブレヒト・デューラー〈メレンコリア・1〉

 

・本書45頁に紹介されているクールベの《世界の起源》は作品を写真で紹介していない。本文を読むとその理由は想像できたが、ネットで検索すると、合点がいった。本文で「横たわって脚を広げた豊満な女性の陰部の絵で、まくれあがった夜具の下から乳房が少し覗き、肉感的な腹、濃厚に苔むしたような陰毛、そしてその下に、臀部へとつながるくっきりとした亀裂までが、生々しく描かれている」と書かれているが、まさにその通り。更に正確に描写すれば、それほどまだ発達していない状態の、ビラビラの少ない大陰唇が縦に長く描かれており、その大陰唇が僅かに開いてその奥の内陰唇がごくわずかに覗いている構図でもって、若い女性の外陰部(女性器)を正確に描いているのである。誰が見てもこの陰部に目が惹きつけられ、顔が描かれていないために、一体誰がモデルなのだろうか?との疑問が湧く。オルセー美術館に所蔵されているらしい。ともあれ、一度目にすると二度と忘れられない衝撃を鑑賞者に与えることは間違いない。著者はロマン主義が主流となっていた当時、クールベは、生々しい肉体を、ごろんとそこに置いて見せた、この有無を言わさないリアルなものの迫力こそ、クールベの魅力であり、大きな発想の転換だと指摘する。

フランクルは人間の行為には3つの価値があり、1つは「創造」、2つ目は「体験」、3つ目は「態度」であり、フランクルは態度においてこそ人間の真価―尊厳が表れていると説く。祈りは態度の中に含まれる。祈りを形にした芸術も見る人を揺さぶり突き動かす力を持っている。デューラーの《祈りの手》やミレーの《晩鐘》は祈りに形を与えることを模索し続けたのではないだろうかと著者は指摘する。