昭和59年8月1日初版第1刷発行
小学教師の瀬川丑松は、師範学校を卒業後、熱心な青年教師として飯山にやってきたが、「えた」と知られ、病院から追われ、下宿から追われ、蓮華寺に引越しをした。父からは隠せと教わるが、猪子蓮太郎の今度の著作は「我は穢多なり」という文句で始まるもので、丑松は感化を受けた。主座が丑松、土屋銀之助も師範出で、新しく赴任してきた勝野文平は第三席に着けられた。丑松は、銀之助と文平が猪子は賤民だから取るに足らんというのを聞いて悔しかった。だが丑松は父の大切な戒めは破るまいと考えた。風間敬之進は後半年勤めれば恩給を受けられたが、体調から続けることが難しかった。丑松は猪子と何回か手紙のやり取りをするようになる。丑松は父が亡くなり、列車に乗り込んだ際、偶然、蓮太郎と出会う。市村弁護士の遊説に応援のために豊野に足を延ばしたからだった。上田で一旦別れた時に丑松は出自を打ち明けようと思った。父の生前の遺言を丑松は聞いた。日頃から堅く言いきかせて置いたことを忘れるなのひと言だった。丑松が留守にしていた時、猪子が訪ねてきた。その後2人だけになった時、丑松は猪子に何度も素性を話そうとしたが、結局話しができなかった。再び猪子の旅籠を訪ねた丑松は風呂場で言おうか迷い続けて風呂を出た。そして言わないまま旅籠を出る。翌日道中で2人きりになった時に今こそ告白しようとするが、父の声が心の底で聞こえて躊躇わざるを得なかった。結局最後までとうとう言わずに別れ蓮華寺に戻った。