2024年5月20日発行
一 染井の桜…巣鴨染井
元は御家人だった得造は武士を捨て植木屋に弟子入りし、桜の研究に没頭し、江戸彼岸と大島桜を掛け合わせた変わり咲きの桜「吉野桜」を作り、「移ろうから、儚いから、美しい」と評判となる。彼は自分が生みだした桜の苗をわずかな値で分けてしまい、儲けようとしなかった。名を残すのにも興味がなかった。流行り病で妻のお慶が亡くなる。黙々と針仕事をして得造を支え続けたお慶の針箱を、得造は誰にも触らせなかった。仲間から忘れて先に進まなきゃいけないと言われても、そのままにし続けた。
二 黒焼道話…品川
春造は、蝦蟇蛙、赤蛙、黒焼の蝮売りに出会い、雇われた。研究熱心だったが、周りから変人扱いされ、転居して独立した。鶏冠、百足の新しい黒焼を作り出すが、迷信扱いされ、遂には子供達から妖怪扱いされた。
新しく買った家に夫が一緒に暮らしたのは3年足らずだった。文枝の絵を尾形が時々画商のように売ってくれた。家の床下には猫の巣があり、鳴き声が聞こえた。夫は通勤電車に乗っている最中事故に遭って死んだ。夫に植えて貰った柘榴の木から実が落ちた。物置の床下から何かが這い出して来る。狂い塊らしいものが空に舞いあがり、闇に溶けた。猫たちは悲しげな声で狂ったように鳴いていた。塊の気配が遠ざかり、上から羽が数枚舞い落ちてきた。
四 仲之町の大入道…市谷仲之町
旋盤工の職人松原が上京して、大家から借金取りの仕事を紹介され、市谷仲之町で先生と呼ばれる大入道のような男を何度も訪ねる。大分経ってから内田百閒だと分かる。松原が通うのをやめると、百閒から本が届けられる。2時間ほど『冥途』という奇妙な表題の本を読む。笑いかける気配が伝わり、抗っても抗っても闇の向こうから凄まじいものが松原を覆い尽くそうとする音がやかましく聞こえてきた。