表紙に「1968年、敗戦体験による自身の問題意識から著された本書は、『古事記』や『遠野物語』を介し、己の感受性で国家の起源と本質をつきつめてみせた。『人はなぜ信じてしまうのか』という問いにとことん向き合った戦後最大の思想家、吉本隆明による格闘の記録」、「私たちは情報社会≒〈共同幻想〉にどう対峙すればいいのか」とある。この表現に全て要約されている。これ以上、この本の内容をコンパクトに他人に紹介することは困難至極である。
敢えて言うとすれば、ニーチェは「共同幻想」=神と暴き、共同幻想の爆破を試みた、エンゲルスの国家観=共同幻想は経済的理由・階級闘争に基づいている、しからば日本国の起源は、古事記と遠野物語から説明すると、◎◎だ。と言っているわけですが、この◎◎の部分が難解で、理解困難。
国家とはエロス的関係である、スサノオの追放と疚しさから、色々と論じられているのですが、この部分がどうしても頭に入ってこない。
それを脇に置いて、第4回に入って、芥川の自死を取り扱い、居場所を持ち得なかった芥川は共同幻想からの離脱を自死によって図った、他方、夏目漱石の相撲取りの「互殺の和」から、大衆は日常生活の中で不断の努力をしている、といった大衆の群像を読み込み、そして最後に情報社会=共同幻想という視点から、共同幻想が持つ魔力に対する注意喚起を促し、大衆の足下の生活を大切に、と訴える。このあたりはいろんな言葉で文学というものと思想というものとを接着させて深く考える人たちがいることを、ようやく感じ入ったところです。
それにしても、普段、誰も使わない言葉で、自分の考えていることを表現し、そのことを他人に伝えようとする人たちの感性というものは、一体なんなのだろう?という素朴な疑問が頭の中でぐるぐる回っています。