『想像の共同体ーナショナリズムの起源と流行』を分かりやすく紹介・解説してくれています。100de名著「ナショナリ[ズム」の中で一番分かりやすかったように思います。
近代主義を成り立たせる車の両輪に譬えられる「個人主義」と「ナショナリズム」の関係。また特にナショナリズムが近代社会において生まれ、個人主義を強め合うのがどうしてなのかについて『想像の共同体』を通じて説明してくれているのは、大澤さんが納得いったのと同様に初めてそうなんだ!と思いました。
アンダーソンがインドネシアの研究家であったことも、この本を成功させた一つの要因と見ている大澤さん。インドネシアが植民地だったからこそという視点がどう生きてくるのか。そこのあたりは一言では説明できる力量が私にはありませんが、とてもコンパクトにうまく説明されていると思いました。
国民(ネーション)とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である。
有名な命題らしいです。
小説における時間・空間。アンダーソンが着眼するのは、小説のリアリズムを支えている語「この間meanwhile」という語。二つの同時性を持つことは「さながら神のごとく」ということらしい。ここから「国民」と「この間」の類似性を説明しています。
このあたりの大澤さんの説明は、私の上記要約だけだと、なんのこっちゃ?となってしまいますが、でもそういうことを大澤さんは分かりやすく書いてくれています。
以下は目次・キーワードの拾い出し。大澤さんの元の説明を読んでください。
下記は私の単なる備忘録です。悪しからず。
国民の3つの特徴 「国民は、限られたものとして想像される」「国民は一つの共同体として想像される」「国民は主権的なものとして想像される」
ネーションは王国ではない、宗教共同体ではない
我々の言語こそ、国民が自分の言語を持つという感覚こそ、本質的。
ナショナリズムの生成過程 ①出版資本主義 ②植民地化 ③公定ナショナリズム
そして「我々の死者」
「過去の死者たちのことを思わない人は、将来世代のことを考えなくなります」
「我々が、敗戦によって得た理念ー平和や戦争放棄や国民主権の理念ーに基づき、アジアの死者に哀悼を捧げるということは、日本の死者を裏切り、『あなたたちの死は無意味だった』と宣告する、ということです。これほど日本の死者に申し訳ないことはありません。だから、現在の我々は、アジアの死者に哀悼を捧げる前にまず、日本の戦争の死者を、深い謝罪の意味を込めて哀悼しなくてはならない」ということを、加藤典洋さんが『敗戦後論』という本の中で触れているらしい。そういう考え方も、確かに、という気がします。
その上で大澤さんはナショナリズムは最終的には克服されなくてはならないと思う、しかしナショナリズムの克服はナショナリズムを踏み台にしてのみ可能だとも。
(未来の他者)への思い、(未来の他者)とのつながりとか連帯とかの感覚によって、ナショナリズムは克服されると思うと。
(我々の死者)を媒介にして、(未来の他者)につながることができるようになるとも。
このあたりはやはり少々難しくてそんなに理解できているわけではありませんが、でも、なんとなく、という感覚はあります。
そもそもこんな問題自体、考えたこともなかったので、とても新鮮でした。
ありがとうございました。