虫と自然を愛するファーブルの言葉  大事なことはみんな「昆虫」が教えてくれた。 ジャン・アンリ・ファーブル  平野威馬雄訳

2021 年 9 月 15 日初版第 1 刷発行

地味な虫万歳!小さな虫万歳!
われわれは、独創的な発明や、芸術的な細工や、たくみな組み合せを求めよう。しばしば誰からも忘れられている哀れな虫をたずねて見よう。そうしてかれらがしばしば行く場所に対して、いやな気持を起こさないようにしよう。塵芥が、薔薇の花ではそれと同じようなものを見出すことができない美しい珍奇なものを、われわれのためにとっておいてくれる。地味な虫万歳!小さな虫万歳!

人間がたくみに企んだ鳥さしの網より、蜘蛛の網は何層倍もすぐれている。
深い叡智には、同時に深い無智が結びついている。本能にとっては、いかにむずかしいことでも、不可能だということはない。蜂はその巣をつくるのに、底を三菱形にした六角形の室をつくり、どうしたら最小の努力をもって最大の結果を得ることができるかという困難な問題を実に正確に解決した。

鳥の卵、それは自然界で最も単純でもっとも優美なもののひとつだ。
大慈大悲の神様が、もし、地上に下された豆があるとすれば、それは、うたがいもなくいげんまめである。味はよし、大きさにこくがあるし、値も頃合いだし、第一栄養このうえなし。プロヴァンス地方では、グンフロ・グス(貧乏人を太らせるものという意味)と呼んでいる。しかもいんげんまめには、決して虫なんかつかない。

フランス全土に馬鈴薯を普及させたパルマンチェーの奇妙な企てのこと。
ヴィクトール・ユゴーは、《芸術の中にも科学におけるがごとく、数というものがある。台数は天文学の中にあり、天文学は詩と相接している。代数学はまた音楽の中にあり、音楽は詩と相接している。》といっている。

休むひまさえない時ほど、人は幸福なことはない。働くということ、それのみが生きていることだ。

われわれの青春時代、科学のまえに文学上の研究をするのが通例だった。

 

どれも、キラ星のごとく、綺麗で美しい言葉です。科学者というより詩人の趣きがあります。