二宮金次郎 木暮正夫

2010年6月第1刷

 

身長182センチ、体重94キロ、わらじの大きさ28センチ。大男。

1787年7月23日生(今の小田原市栢山かやま出身)

 

 たきぎを背負って本を読む金次郎の像しか思い浮かばなかったが、大人になった後、借金だらけの武家や藩を立て直し(家老・服部十郎兵衛、藩主・大久保忠真ただざね)、農民たちのために年貢米を正確にはかれる升を設計し、苦しい生活をしている農民を助けるため、荒れ果てた多くの農村を立て直す。その数600以上とも。昭和26年には自由の女神を背にした金次郎とリンカーンが並んで描かれた絵がある(日本が生んだ最大の民主主義者とインボーデン少佐は語り、この絵は占領軍が日本人画家に書かせたらしい)。身分の低い武士たちの生活を助けるためにお金を貸し借りできる「五常講」(世界初の信用組合)を作り上げた。全ての人、全ての物に徳(ねうち)があり、全ての徳に感謝して大切にする。そのために4つのこと(1勤労、2倹約、3分度、4推譲)を実行しようという「報徳思想」を掲げた。晩年、日光地域の立て直しを行おうとする最中にペリーの黒船がやってきたが、10月20日に70歳で亡くなる。明治はそれから12年後に訪れる。明治天皇が金次郎のことを弟子の伝記で知り「これほどの農民がいたのか」と心を打たれ、皇居の建物の中に像を置き、そこから教科書や唱歌にもなる。

 内村鑑三が『代表的日本人』の中で「二宮尊徳」で取り上げたのも十分頷けます。