万里の長城 加古里子 常嘉煌(かこう)絵

2011年6月10日発行

 

常嘉煌は常書煌(敦煌石窟の保護に生涯を捧げた)の子。

長さ約8000キロメートル(嘉峪関~山海関~遼寧省丹東虎山こざんまで8851.8km)もある万里の長城(明代長城)。赤道一周の5分の1もある。中国の歴史と万里の長城がどのように築かれていったのか、また万里の長城が果たした役割なども時代によって異なっていることを分かりやすく説明してくれている。始皇帝万里の長城をつくったのは北方の遊牧騎馬民族の攻撃を防ぎ国土を守るため。漢時代に西域に長城を伸ばし、これにより東西がつながれ文化や物が互いに行ききするようになる。隋の時代に長城は100万人を動員して補強され、南北朝時代の頃には敦煌莫高窟を始め仏教文化遺跡と呼ばれる石窟における大型仏像、仏画が多数作られる。大国・元時代には敵になる相手がいなかったので修理されなかったが、明朝時代になると300年かけて嘉峪関から丹東虎山に至る部分の補強新設工事を行う(石や焼きレンガを積み重ねて丈夫で風雨に強い壁を作った)。清国時代に柳条辺牆を作った。中国の国家「義勇軍行進曲」は「立て、奴隷となるな 人民よ、血潮もて 新しい 長城を きずこう」と詠い、長城は中国の人びとの精神の支柱となっている。鄧小平は「我等の長城を修理しよう」と呼びかけ、歴史遺産として保存。

やはり一度自分の目で万里の長城の実物は見てみたいですね。

 

 

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