昭和50年5月20日初版発行 昭和53年9月5日3刷発行
訳者解説では、「英詩史上に、まさしく〈天才〉としか思えぬ詩人は、私には4人しかいない。シェイクスピアのような巨峰は別にして、その4人の天才詩人とは、ウィリアム・ブレイク。ジョン・キーツ、ディラン・トマス、そしてD・H・ロレンスである」「ブレイクは靴下屋、キーツは貸馬車屋、トマスは学校教師、ロレンスは炭鉱夫、のそれぞれの息子であり、ほとんど独学で、先人の残した文学をほしいままに読み、ほしいままであったために、詩精神(ポエジー)を自分のものにできた」「キーツの詩語からは極めて透明度の高い、クリスタル・ガラスのような、冷たく燃焼する高度の情熱が感じられる」「キーツは、1795年10月31日、ロンドン市内、・・の長男として誕生・・8歳6か月、1804年4月、父トマスは落馬事故で急死・・母はジョンが15歳のとき、肺病で死亡」(1820年亡くなる。享年25歳)
安藤一郎「キーツの墓」によると、キーツの墓碑銘「その名は水に描かれた者、ここに眠る」。
あとがきでは、訳者の亡き師、詩人安藤一郎教授の残された意志を形にしたいという願いと先生の貴重な文献のおかげでキーツ抄訳を上梓できたとあった。
私のお気に入りは次の3作品。
つぐみは言った
ああ冬の風をまともに顔にうけ
雪を降らす雲が霧のように低くたちこめるのをみつめ
凍りつく星たちのあいだの黒い楡の梢をみつめる あなた
あなたにとって春こそが収穫の季節
一冊の書物が至高の暗黒の光であるあなた
陽のささぬ夜毎に
本をむさぼるあなたには
春こそが朝の三倍の歓び
知識ばかり求めては駄目―あたしにはないのだもの
でもあたしの唄はあたたかいでしょ
知識ばかり求めては駄目―あたしには知識はない。
でも夕暮は聴いてくれる。怠けていると
哀しむ人が怠けていることはありえなくて
眠っていると思うひとは目覚めているのよ
オード〈ボーモント・フレッチャーの悲喜劇「旅籠屋の美女」の余白に書かれていた〉
笑いと情熱に燃えた詩人諸君
きみたちの霊魂はいまもこの世に残っているが
あの世でもまだ魂を失わず
新しい国でもう一度生きているのか
そうだ。天国できみたちは
太陽と月の球体と響き合って
不思議な泉の湧き出す音
雷鳴とどろく話声
天井にそよぐ樹木の囁きと響き合い
こせこせしないで実にのんびりくつろいで
楽園の草地に坐りこんでいるのだろう
ダイアナの愛する若鹿だけが口にできる草の上に。
すぐ足元には大きなヒヤシンスが釣鐘を下げ
そばには雛菊が薔薇の香を放つ
薔薇はまたこの世にはない
薔薇の薫りを漂わせ
ナイチンゲールの歌はこの世の人に
意味の通じぬ恍惚の歌ではなくて
尊くも美しい旋律に満ちて
真実を愛する妙音が漲り
天上の神秘を
語りきかせ、黄金の歴史を歌いきかせ
かくして諸君は空高くに生きていて しかも
この地上にも生き残っている
きみたちが残していった魂は
きみたちを見つけだす道を教え
きみたちの魂はいつも歓び
眠りを知らず飽くこともない
この世でいまも きみたちの地上に生まれた魂は
人間たちに語り続けている その儚い毎日を
人の悲しみや嬉しさを
人の光栄や恥しさを
人の情熱や恨みを
人を強くするものくじくものを
きみたちはこうして毎日のように人に叡知を与えている
たとえ遠くに飛び去ってしまっても。
笑いと情熱に燃えた詩人諸君
きみたちの霊魂はいまもこの世に生きているが
あの世でもまだ魂を失わず
新しい国でもう一度生きている
ぼくが欲しいのはきみのやさしさ
ぼくが欲しいのはきみのやさしさだーあわれみだーそうだ、愛だ
焦らしてひとを苦しめぬやさしい愛
ひとつに思いをこめ脇道に逸れず虚偽のない愛
仮面のない、ひとに見られて一点の汚れもない愛
ああぼくはきみのすべてがほしいーすべてをぼくのものにしたい
あの姿 あの美しさ あの愛の可憐な味
きみのくちづけー両手 清らかな瞳
あの温かく白く輝く透明の百万の快楽の乳房―
きみというすべてをーきみの魂をーあわれみとともにぼくにくれ
きみのひとかけらも残さずにだーさもなければぼくには死しかない
あるいは生き続け きみの悲しい奴隷となり
悲惨と怠惰の霧の中で
生きることの目的を忘れるだろうーぼくの胸は
激情を失い 野望は光を失って