昭和56年6月10日初版発行
巻末の訳者解説「詩人としてのアンデルセン」によれば、「アンデルセン(1805~75)は、いまではもっぱら〈童話の王様〉として知られるだけだが、その生涯と夥しい作品とを展望すると、彼が決して単なる童話作家でなく、その長い生涯を通じて終始多産な、そしてふしぎな彷徨をした大作家であることがわかる。彼はその無比な数多くの童話のほかに、ほぼ600篇ほどの詩、40篇を超す劇や小説を書き、また当時の旅行に不自由な時代に、生涯に30数回も外国旅行を試みて何冊ものおもしろい旅行記を残し、自国や他国の多くの宮廷や貴族の城館に迎えられていろんな勲章や名誉の称号をもらい、死んでは全世界の哀悼のうちに国葬をもって葬られた。極貧の靴直しの子として生れ、その父も早く死んで学校にもろくろく通わず、祖父は精神病者、母は洗濯女として他家から洗い物を出してもらい、それでえたわずかの賃金で辛うじて息子を育てた。そういう生い立ちの子としては、異常な成功としなければならない。そんな彼だったkら、その『自伝』の冒頭では、自分の生涯は波瀾にみちてはいたが、一篇の美しい童話のようだった、と回想することができた」「『自伝』によれば、彼がまだ物心のつかないうちから、彼の父は『アラビアン・ナイト』やデンマークの国民詩人というべきホルベアの劇などを読んできかせているし、父の死後は近くに住んでいた牧師詩人ブンケフロードの未亡人の家に出入りして、夫人とその義妹から、詩人がいかに尊い天職であるかを聞かされ、またシェイクスピア、ゲーテその他の詩人についての話をきかされたのが、この貧しい靴屋の息子が、学芸の世界にあこがれた出発点であった」「以前に彼の詩を概観した時に、私はそれを、1、純粋な叙情詩、2、物語詩や歌謡の類、3、儀礼的な詩、に三分してみた」「この訳書では、その夥しい詩作の中から約70篇を採って、初期、中期、晩期に分けてみた」とある。
初期(1825~30頃)の作品の中にもいくつか好きが詩があった。
荒野の上の母と子
ねえ、話してよ、母さん、一度もまだあなたは話してくれなかった
いつになったら、父さんにあえるの、父さんはもう土の下にいるの
あなたは一度も話してくれなかった、いったい父さんはどんな人だったの
ぼく夜になるとふしぎな夢をみるんです
父さんは王様ではなかったの? ぼくよくそんなことを考えるんだ
それからぼくたち、なぜこんな荒野の上を行かなければならないの?
山よりも倍も高く、虹の橋がかかっている
その橋の下に父さんは誇らしげに立っている
首には鎖をかけ、頭には冠をのせて
まわりには天使がいっぱい飛んでるんだ
父さんはぼくに目くばせするー何もかもはっきり見えるんです
ねえ、言ってよ、ぼくたち父さんにじきにあえるの?
夢のことなんか言うんじゃないの、お前は大げさに考えすぎます
お前の生まれたハンガリイで、父さんはしばり首になったのだよ
あの人は誇りが高くて王様みたいだった、しばり首になった時でさえも
体はとっくに黒い鴉どもが食いちらしてしまったよ
わたしがあの窖を破って逃げた時も、お前はわたしの胸に抱かれていたんだよ
青ざめるのはおよしーさあまた歩いて行こうね!
心のメロディ(抄)
わが思いは力強い山
そは空高く聳え立つ
わが心はいと深き海
そこでは波が波にぶつかって砕けている
山はあなたの姿を
青空高くかかげる
そしてあなた自身は生きている
深い波濤のうち寄せるその心の中に
だが、私は、中期(1831~54頃)の作品が最も好きである。
いくつか紹介したい。
あなたの眼の表情
あなたの眼の表情を
どうして私が忘れることができよう
その微笑、そのやわらかい声
それは天からさしてくる光で
それに向って私はあこがれる
それなのにお前は死者の中にいるのだ!
わらえ!
「わらえ!」がわたしのモットーとなった
わらいはどんなかなしみもやわらげる
信じたまえ、わたしたちのほめたたえる人は
たいていわらったことで幸福をえたのだ!
わらいは敵をもたおす
真実なんかはかれにとってただの水
わらうことでばか者も
とてもかしこい人としてとおるのだ
「わらえ!」わたしがこのことばをまきちらすと
人にはただ歯なみだけしか見えない
信じたまえ、わたしたちがわらうときは
つねに同意のわらいなのだ
わたしたちは死者の幸福をたたえる
きみはかれの顔が見たいか
それはわたしのモットーと同じく
「わらえ!」とかたりかけるのだ。
志願兵
とどまっていることはできない、私は落着けない
みんなと一緒に戦地に行くのだ!
われらの主張は正当なのだ、だからわれらは神を信じることができる
あの方さえともにあれば、勝利はわれらのものぞ。
何世紀ものあいだ、デンマークは大きく力強かった
だが、それから掠められ掠められてきた
いま彼は、昔彼がなしたことをなすことができない
あまりに長いことデンマークは嘆息ばかりついてきた
彼らはわれらの小さい国を押しつぶすことができよう
しかし勇気と意志を挫くことはできぬ
なぜならいま、われらすべては至上の力に奮い立ち
わらえらの楯は百合のごとく清らかなのだから
私は自分を強いものに感じる、これならばもちこたえられるぞ!
ありがとう、お母さん、あなたは私が戦いに行くことをお望みなのですね
私にはあなたの思いがついています、そして神さまが。
あなたがあなたの息子に期待するところは、あてにしていいのです
さようなら、みなさん! 私は落着けない
私はみんなと一緒に戦地に行くのだ
われらの主張は正当なのだ、だからわれらは神を信じることができる
あの方さえともにあれば、勝利はわれらのものぞ。