昭和41年10月5日初版発行
〈白鳥〉から
わたしはこの世界を愛する
私はこの世界を愛する
そして世界は蔦かずらのようにその一本一本の繊維でわたしの存在にまつわっている。
月光と闇とは空で入りまじり
わたしの意識はその中に漂い、その中にとけこんでいる
ついにはわたしの生命と宇宙とが
一つになるまでに!
にもかかわらず私が死なねばならぬのはささやかな真実ではないのか?
わたしの言葉はある日この空間に流れ出ることを止めるだろう
わたしの眼は決してもはや光に向って聞かれることなく
わたしの耳は夜の神秘なメッセージを聞かぬだろう
そしてわたしの心は
昇る太陽のはげしい訴えに向って駆けつけることはないだろう!
最後の言葉をもって
わたしは別れをつげなくてはならないのだ。
このように生きる欲求は大きな真実であり
絶対の告別は他の偉大な真実である。
それにしてもこの二つの間には調和が産まれねばならぬのだ。
でなければ創造は
かくも永らくほほえみながら
詐欺不正の巨大さを支えることはできなかったであろう
でなければ、光はすでに闇にのみこまれていたであろう。虫に食いつくされる色のように!
〈捉えがたきもの〉から
自由
恐怖からの自由が、私の御身に求める自由である、母国よ!-御身みずから
の歪める夢が形どった、怖れ、夢魔を振りすてよ。
御身の頭を垂れさせ、御身の背骨を砕き、未来の招きに御身の眼を閉じさせる
歳月の重荷から自由になれ。
御身を夜の静寂に縛りつけ、大胆な真理の道をささやく星を信じないようにす
るまどろみの枷から自由になれ。
運命の無秩序から自由になれ、かれの帆は容易に盲目不定な風に屈して、いつ
も死のごとく酷薄冷淡な手に舵をゆだねる。
御身はあやつり人間の世界に住む恥辱から自由になれ、そこでは動作は無智の
手にあやつられ、心なき習慣によって繰返される。人は生の瞬時の道化芝居
のうちに動かされるべく、辛抱づよい従順さで待っているばかりなのだ。
〈黄金の舟〉から
お話をして!
・・
むかしむしかし、そのいそがしい工房において、創造主は元素からものを創り
はじめた。宇宙はそのころ蒸気の塊まりだった。岩石や金属が一層一層とつみ
重ねられた。もしも君がそのころの創造者を眺めたなら、君は彼の中に子供っ
ぽい気持の痕跡すらも見出さなかったろう。彼がそのころやったのはいわゆる
「本質的」なことだった。
それから生命の端緒が来た。草が生え、樹が芽ふき、鳥や獣や魚がやって来
た。ある者たちは地上を走りまわってその種属を殖やし、他の者たちは水面下
にかくれた。
歳月がすぎた。遂にある日、創造主は人間をつくった。その時まで、彼は一
部は科学者であり一部は建築家であった。今や彼は文学者となった。
彼は人間の魂をフィクションを通じて展開させはじめた。動物たちは、食い、
眠り、彼らの子孫を育てた。しかし人間の生命は物語の材料を通して進んだ
―情熱と情熱の、個人と社会の、精神と肉体の、願望と否定との衝突によっ
て形造られる渦巻を通して。河が走り流れる水の流れであるように、人間は走
り流れるフィクションの流れである。二人の人間が出あうとき、そこに不可避
に起るのは、「何かニュースはないか?それからどうなるのか?」という質問
だ。返答は地球を覆う一つの網を織りなした。それは生命の物語であり、人間
の真の歴史である。
歴史と物語は結合してわれらの世界をつくり出す。人間にとって、アショカ
王やアクバル大帝の歴史が唯一の現実ではない。えがたい宝石を探して七つの
大洋を越えた王子の物語も同じだけの真実をもつ。人間にとって、神話の姿は
歴史の姿と同じだけ真実なのだ。要はどちらが一層信頼すべき事実であるかと
いう点にはない、どちらが一層たのしいフィクションであるかということにあ
る。
人間は芸術の創作物だ。彼の制作にあたっては、力点は機械的ないし倫理的
な面にではなく、創造的の面に置かれてきた。人間のためを思う人々はこの真
実を隠そうとする。しかし真実は燃え上ってその覆いを焼きつくす。とうとう
困惑した好調と人間のためを思う人々は、倫理とフィクションの間に平和条約
を結ばせようとする。しかし、両者が出あってもただお互いに切りあうだけで
あり、がらくたの山がそこに高く積みあがるだけのことである。
〈選詩集〉から B
清澄の人、仏陀に
今日の世界は無我夢中の憎悪で荒れくるっています
争闘は残忍で苦痛は止む時がありません
道はねじ曲り、貪婪の絆はからみあっています
おお、無窮の生命をもつおんみよ
あらゆる生命はおんみの新しい誕生を待ちこがれています
おんみの永遠の希望の声をあげて彼らを救い
その尽きざる蜜の宝をもつ愛の蓮を
おんみの光の中に花咲かして下さい
おお、清澄の人、おお、自由なる人よ
おんみの測りしれぬ慈悲と善の中に
この大地の胸から出てくるすべての暗いしみを拭い去って下さい
おんみ、不死の贈物の与え手よ
われらに断念の力を与えて
われらの誇りをわれらから取去って下さい
新しい知恵の曙の荘厳の中に
盲者をしてその視力をえさせ
死んだ魂に生命を甦らせて下さい
おお、清澄の人、おお、自由なる人よ
おんみの測りしれぬ慈悲と善の中に
この大地の胸から出てくるすべての暗いしみを拭い去って下さい
人間の胸は不安の熱病で
自我追求の毒で
限りを知らない渇きで苦悩しています
いたるところの国々はその額に
憎しみの赤い血の刻印をぎらつかしています
おんみの右手でそれに触れて
彼らの心を一つにし
彼らの生命に調和をもたらし
美のリズムを与えて下さい
おお、清澄の人、おお、自由なる人よ
おんみの測りしれぬ慈悲と善の中に
この大地の胸から出てくるすべての暗いしみを拭い去って下さい
困惑している人類の歴史をつきぬけて
困惑している人類の歴史をつきぬけて
破壊の盲目な憤怒が突進してくる
文明の高塔は粉々になって砕け落ち
倫理的ニヒリズムの混沌の中で
何代もの犠牲者によって英雄的に獲得された人類の至宝が
強盗どもの足に踏みにじられる
若い国民よ、来って
自由のための戦いを宣し
不屈の信念の旗をかかげよ
君の生命もて
憎悪にひき裂かれた大地の深層に橋をかけて
進み出でよ
君の頭で侮辱の重荷を選ぶべく屈服するな
恐怖に駆られて。
そして君の辱しめられた人間性のために隠れ家をたてるべく
虚偽と狡智をもって塹壕を掘るな
君自身を庇うために
弱き者を読者の犠牲にするな
- 第二次大戦を前にカナダ国民に訴えて、1938年5月、オッタワ放送局から放送されたもの