ロバート・バーンズ詩集 増補改訂版 ロバート・バーンズ研究会編訳

2009年11月20日初版発行

 

606頁もの分厚い詩集!

巻末の木村正俊による解説「ロバート・バーンズの詩 -スコットランド的な想像力と言語」によると、バーンズは1759年1月25日、スコットランドの西海岸エアシャーの小村アロウェイに生まれた。小作人であっため苦しい農業経営を強いられたが、この農人としての人生体験が偉大なスコットランド詩人バーンズを生み育てた。スコットランドの風土、自然、人間や動植物の実態はもとより、生活習慣、言語、歴史、民俗文化、信仰など、スコットランドの万般についてバーンズは直接体験によって知ることができた。詩人にとって不可欠な、感性の根源的な力はこうした土地での原体験が錬磨させたものである。バーンズの師がいまに生命力を失わず心を打つのは、あくまで詩人がスコットランドの土地に根を下ろし、そこから想像力の滋養を得て書いたものであるからにほかならない。「天から学んだ農民」と言われる。

 

以下に私が気に入った詩をいくつか記します。

 

95 ガラ川の素敵な若者たち

・・・

  彼の父は地主でなかったけれど、

   そして私に多くの持参金はないけれど。

  ふたりはこのうえない優しい真実の愛に富む、

   ふたりはガラの堤で羊の群れを育てるつもり。

  富では決して買えなかった、買えやしなかった、

   心の満足、やすらぎ、喜びなどを。

  互いの愛の絆や幸せこそが、

   おお、それがこの世でいちばんの宝物。

 

107 ロバート・ブルースのバノックバーンへの進軍

            「ヘイ・ツーティー・タッティー」の曲で

   ・・・

   スコットランドの王と法のために、誰が

   自由の剣を雄々しく抜いてくれるか、

   自由人として立ち上がり、倒れるか、

    そういう者はわれと一緒に戦おう。-

 

   あの圧制の悲しみと苦しみを思え、

   隷属の鎖に縛られた息子たちを思え、

   われわれはかげがいのない血を流す、

    だがそれが息子たちを自由にさせるのだ。

 

   あの高慢な強奪者を打ち倒せ、

   敵が一人倒れるごとに暴君は倒れる、

   敵に一撃加えるごとに自由は生まれる、

    戦って勝利を、-さもなくば死を!

 

118 何と言っても人は人

   正直な暮らしで貧乏しているのに、

     首うなだれたりするやつはいるか。

   そんな臆病者の奴隷などー我々は目もくれない、

     何と言われても我々は貧乏を通すつもりだ。

    何と言われようともだ。

     我々の仕事が賤しくてもかまわない、

    階級なんてギニー金貨の刻印みたいなもの、

     何と言ったって人間が本当の金なのだから。ー

    

   我々が貧しい食事をしていようと、

     粗末なグレイの服を着ていようと、それがどうだというのだ。

   愚か者には絹の衣装、悪人どもにはワインをくれてやれ、

     何と言われようと人は人だ。

    何と言われようともだ、

やつらには安ぴかの装身具などを見せてやれ、

    正直者は、どれほど貧しかろうと、

     何と言っても人間の王様だ。-

 

   向こうに殿様と呼ばれる威勢のいいやつが見えるだろう、

     気取って歩いたり、目をむいたりしている人だ。

   何百人という人が彼の言葉に敬意を表しているが、

     彼はやっぱりのろまのばか者だ。

    何と言われようともだ、

     彼の勲章のリボンやスター勲章などを、

    独立心を持った男ならば、

     見るだけで吹き出すことだろう。-

 

   君主はベルトをつけた騎士や、

     侯爵、公爵などを作ることができる。

    だが正直者となると彼の力は及ばない、

     彼は決して正直者を作るわけにはいかない、

    何と言われようともだ、

     正直者に備わった威厳とか、

    判断力や、自尊心などは

     そのすべてよりも高い階級なのだ。-

 

   さて我々は祈ろうではないか、

    (何と言われようとその日は来るのだが)、

   この地上で良識と真の価値が

     勝利を収める日が来ることを。

    何と言われようとも、

     世界中どこでも、人と人とが

    何と言っても兄弟となる日が

     何と言っても近づきつつあるのだから。-