死は存在しない 最先端量子科学が示す新たな仮説 田坂広志

2022年10月30日初版第1刷発行 2022年11月25日3刷発行

 

著者 1951年生まれ。1974年東京大学卒業。1981年同大学院修了。工学博士(原子力工学)。2000年多摩大学大学院教授に就任。現名誉教授。2011年東日本大震災に伴い内閣官房参与に就任。「田坂塾」開塾。

 

帯封「人生が変わる一冊 死後 我々はどうなるのか」「かつて、『死後』についてこのように語った本があっただろうか この宇宙のすべての情報を記憶する『ゼロ・ポイント・フィールド』 そこからこの壮大な物語は始まる -人類数千年の謎 その答えを求め―」

表紙裏「筆者は、本書を、次のような『問い』を抱かれた方々に読んで頂きたいと思い、書いた。 ・『死』を直視すべきときを迎えている方々 ・『科学』にも『宗教』にも疑問を抱かれている方々 ・最先端量子科学の『仮説』に興味を持たれている方々 ・人生で『不思議な体験』が起こる理由を知りたい方々 ・肉親の『死』について切実な思いを抱かれている方々 ・『死』についての思索を深めたい方々」

裏表紙裏「最先端科学が示唆する『死後の世界』の可能性 これまでの『科学』は、『死後の世界』を否定してきた。それゆえ、『死後の世界』を肯定する『宗教』とは、決して交わることが無かった。しかし、近年、最先端量子科学が、一つの興味深い『仮説』を提示している。その『新たなる仮説』は、『死後の世界』が存在する可能性を、示唆している。では、その『仮説』とは、どのようなものなのか、どのような科学的理論か。もし、その仮説が正しければ、『死後の世界』とは、どのようなものか。この『死後の世界』において、『我々の意識』は、どうなっていくのか。もし、その『仮説』が正しければ、それは、この人生を生きる我々に、何を教えるのか。もし、この『仮説』が正しければ、『科学』と『宗教』は融合していくのか。」

 

目次

序 話 この本を手に取られた、あたなへ

第一話 あなたは、「死後の世界」を信じるか

第二話 現代の科学は「三つの限界」に直面している

第三話 誰もが日常的に体験している「不思議な出来事」

第四話 筆者の人生で与えられた「不思議な体験」

第五話 なぜ、人生で「不思議な出来事」が起こるのか

第六話 なぜ、我々の意識は「フィールド」と繋がるのか

第七話 フィールド仮説が説明する「意識の不思議な現象」

第八話 フィールド仮説によれば「死後」に何が起こるのか

第九話 フィールド内で我々の「自我」(エゴ)は消えていく

第十話 フィールドに移行した「我々の意識」は、どうなるのか

第十一話 死後、「我々の意識」は、どこまでも拡大していく

第一二話 あなたが「夢」から覚めるとき

終 話  二一世紀、「科学」と「宗教」は一つになる

 

本書の最重要キーワードは、ゼロ・ポイント・フィールド。

最先端量子科学が示す「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」とは、この宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が「記録」されているという仮説である。もう少し正確に説明するなら、無限のエネルギーが潜む「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、この場にこの宇宙のすべての出来事のすべての情報が「波動情報」として「ホログラム原理」で「記録」されているという仮説である。

ホログラム原理とは、波動の「干渉」を使って波動情報を記録する原理のことであり、位相を変えた「波動」同士が互いに干渉するときに生まれる「干渉縞」を記録することによって、高密度の情報記録を可能にし、鮮明な立体映像の記録も可能にする原理である。

2020年ノーベル物理学賞を受賞したロジャー・ペンローズが提唱する「量子脳理論」は、我々の脳の中で起こっている情報プロセスが「量子的プロセス」であるとの仮説を提唱する。これを前提とすれば、我々の「意識の場」である脳や身体は、この「ゼロ・ポイント・フィールド」と量子レベルで繋がることができ、我々の脳や身体は「宇宙のすべての出来事の情報」や「過去、現在、未来の出来事の情報」に繋がることができる、現代物理学の世界では、「過去」「現在」「未来」は、「同時に」存在しているものとされている、とする。

それらを前提に、第8話で、著者は、死後、我々の意識がどうなっていくかについて、「肉体の死後、我々の意識は、その中心をゼロ・ポイント・フィールド内の「深層自己」に移し、生き続けている、と考えている」と結論づける。そしてフィールドは「情報貯蔵庫」ではなく、「超越意識」のようなものであり、あえて命名すれば「宇宙意識」と呼ぶべきものとする。そして現実世界の現実自己とゼロ・ポイント・フィールド内の深層世界の深層自己との関係について整理し、深層自己の無意識はフィールド内に存在する無数の情報や知識や叡智に広く触れることができ「超個的無意識」へと広がり「超時空的無意識」へと広がっていく、すなわち「深層自己」の無意識とは、「現実自己」の無意識と比べるならば、遥かに大きな無意識である、とする。

 

第1話から第8話までは説得力を感じた。特に第5話で「ゼロ・ポイント・フィールド」と仏教の阿頼耶識」(我々の意識の奥にある「末那識」の奥にあるとされる)との類似性に触れた箇所は今読んでいる仏教書との連関性も感じられ、正直驚いた。また「ホログラム的構造」、すなわち「部分の中に全体が宿る」という不思議な構造原理、すなわち「部分の中に、全体が宿る」という不思議な構造についても、古い宗教的叡智がその本質を洞察している、例えば仏教の経典で「一即多、多即一」の思想、英国の詩人ブレイクの「一粒の砂の中に、世界を見るという言葉と関連付けているところも感心した。

 

ただ、9話でフィールド内で自我(エゴ)が消えていく、とする著者の意見にはにわかには賛成できない。その理由を著者は我々の意識がゼロ・ポイント・フィールドに移ると恐怖や不安がなくなるから自我が消えると説明する。が、果たして恐怖や不安がなくなるという前提は正しいのだろうか?肉体の死を迎えた後は、意識の中の自我は、死の恐怖や生存の不安から解放され存在意義を失い自然に消えていくとするが、ここに説得力を私は感じない。だから自我が消えていくという著者の意見に賛成できないのである。したがって著者はゼロ・ポイント・フィールドに「地獄」は存在しないとするのであるが、ここも同様の理由で賛成できない。著者は、宗教は人々に生き方の倫理規範を示すべき立場にあるため死後の世界に恐ろしい世界や苦しみの世界を描き、また社会秩序を維持するために戒めを語ったとするが、それだけではないのではないか。著者は、自我が消滅する前提に立つので、ゼロ・ポイント・フィールドの浄化力なるものを持ち出すが、ここも同様の理由で賛成できない。

 

とはいえ、10話、11話、12話と進んでいくうちに、著者の考えは、基本的には賛同できる。特に筆者は『法華経』の「如来寿量品」を引用しつつ、「永遠の命である『仏』とは、ゼロ・ポイント・フィールドに他ならず、それは、いたるところに存在し、永遠に存在し続ける。そして、このフィールドから、無数の『個的意識』が生まれ、生き、そして、フィールドへと戻っていく。すなわち、この『個的意識』(私)とは、ゼロ・ポイント・フィールドという『宇宙意識』(仏)の現れに他ならない」と述べるが、これは全面的に賛同する。