台所太平記 谷崎潤一郎

1989年4月10日発行

 

千倉磊吉は京都に家を、熱海に別荘を持っていた。今でいうお手伝いさん、当時は「女中」と呼んでいた女性を何人も雇っていた。鹿児島出身の「初」は不器量だったが愛嬌があった。身綺麗でたしなみがよく、姉御肌で他の女中たちの面倒見も良く、舌の加減が発達していて料理が上手だった。貧しい家に生まれ、40歳近くになっても結婚せずにいたが、初の姉の筋で結婚した。「梅」は初と同郷だったが、初と違って標準語をよどみなく話した。酒好きの朗らかな性格で、初の弟安吉と結ばれた。磊吉が気に入らない「小夜」と反対に気に入っていた「節」だったが、「小夜」に暇を出すと「節」までいなくなってしまった。2人は同性愛者だった。「駒」はお人よしでいつも他人の負債を背負って貧乏していた父親の娘だった。勝手に逃げて帰ったりしたら家には入れないといわれて奉公に出たが、物真似が得意で気だての良い女だった。女中の中で最後に結婚したのが「駒」だったが、昭和タクシーの運転手と結婚し、更に労働組合書記長や全国自動車交通労働組合静岡連合副執行委員長にまでなった。「鈴」は器量よしだったが農家の出身で中学を出たものの字を綺麗に書くことも当初は出来なかったが、磊吉に字を教えてもらうとめきめき腕をあげた。後に良縁の結婚を果たした。千倉夫妻の紹介で結婚相手を見つけてめでたく嫁に行ったのが「定」だった。朝は5時に起き一度も不平を言うことなく子供好きで動物に対する愛情がこまやかだった。小さい頃から苦労をしてきたせいで大層な働きぶりだったため良縁の話が舞い込んできた時に骨折りをした。一番の出世頭と言ってよかった。器量よしだった「銀」は女癖の悪かったタクシーの運転手光雄と相当すったもんだの末に結婚した。磊吉が一番贔屓にしていた「百合」は大阪顔の朗らかで快活だったが、他の女中との折り合いが悪かった。磊吉に可愛がられているうちに女優の付人になりたいと言い出し、女優の高嶺飛騨子の付人にしてもらった。もっとも勘違いした百合は威張りちらして周囲から嫌われた。すると九州の炭坑で父が急死し九州へ帰った。77歳で喜寿祝いの席が催されると、大勢の女中たちが集まってくれた。