緋の天空 葉室麟

2014年8月30日第1刷発行

 

奈良の金光明寺(のちの東大寺)で大仏開眼供養が盛大に行われた。高さ52尺(約16メートル)、御顔の長さ16尺(約5メートル)の大仏は、華厳経が説く蓮華蔵世界の中心的存在であり、世界そのものを象徴する盧舎那仏である。皇太后光明子(こうみょうし)が夫聖武太上天皇(45代天皇)と娘孝謙天皇(46代女帝)と参内した。2年後、鑑真和上を呼び寄せて受戒した。聖武太上天皇崩御すると、淳仁天皇が即位した。朝廷の権力は仲麻呂が握った。皇太后は僧正に悪臣を誅する呪術を相談すると、目の前に道鏡が現れた。皇太后安宿媛(やすかべひめ)と呼ばれていた子供の頃に場面が変わる。父は藤原鎌足の次男藤原不比等、母親は県犬養三千代藤原不比等天智天皇の意を継ぎ、力ではなく律令で治まる国、不改常典の法により皇位が承継される国を目指し、かつ、藤原氏の権力の礎を作った。不比等邸の隣に安宿媛と同じ年の首皇子(おびのみこ)が住み、首皇子の母宮子は不比等の娘だったが心の病を患い、宮子はわが子との面会も叶わず、首皇子は三千代に育てられた。首皇子の父文武天皇も、その父も20代で亡くなった。呪詛によるのではないかと疑われた。安宿媛首皇子を守るように三千代から言われ、不比等光明子と名を変えさせた。首皇子蠱毒を仕掛けられたことを知った氷高皇女は元明天皇から譲位を受けて即位し元正天皇となった。母娘が統治するというかつてない時代に入った。光明子は首皇太子の妃となり、第1子をもうけた。後の女帝、孝謙天皇である。不比等が亡くなった後、長屋王が実権を握った。一生独身を貫いた元正天皇(44代女帝)から譲位され、首皇太子は聖武天皇として即位し、光明子は皇后となった。藤原家の権力を奪い取ろうとナンバー2の長屋王は息子の膳夫(かしわで)を帝に付かせたいとの欲望を抱いていた。しかし策士、策に溺れるで、長屋王一家は自害した(長屋王の変)。藤原家への呪いのためか、疫病が蔓延し、世情も不安が高まる中、聖武天皇は仏法の慈悲の心を国の心とし、人々が苦しみを分かち合い、喜びを共にする国を造ることを決意した。生まれてこのかた会えなかった母とも心を通わせ、光明皇后の生んだ娘の阿倍内親王を皇太子とした。そして最後に盧舎那仏の建立を発願した。元正太上天皇崩御し、聖武天皇が譲位して孝謙天皇が即位した後、大仏は完成し、開眼供養が行われた後、光明子は没した。