聖書のなかの女性たち 遠藤周作

1989年10月10日発行

 

目次

聖書のなかの女性たち

一人の娼婦の話

ヴェロニカ

病める女

カヤパの女中

サロメとヘロジャデ

マグダラのマリア

マルタ

ピラトの妻

聖母マリアⅠ・Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ

ルルドの聖母

エルサレム

秋の日記

地図(パレスチナ周辺)

地図(エルサレムの町)

あとがき

解説 矢代静一

 

新約聖書の中には27,8人の女性が登場する。西欧人の心の中には聖母マリア旧約聖書に出てくるイブ、ギリシャの美の女神ヴィナスの3人の女が象徴的な女性像として存在している。聖母マリアは女性の精神的な清らかさや純潔と共に母性の象徴に。イブは女性の暗い部分、女だけが持つ悪の原型に、ヴィナスは女性の肉体的な美、芸術の美の理想像になっている。聖書に現れる様々な女たちは聖母マリアとイブとの間に存在している。彼女たちの煩悩や苦しみ、迷いはぼくたちの煩悩、苦しみ、迷いにつながる。彼女たちが人生の途上でキリストに出会った時、キリストがどうされたかそれを描きたい。

旧約聖書では神を裏切った女達には激しい軽蔑と怒りが加えられたが、新約聖書の世界では娼婦たちはその泪で「御足を次第に濡らす」女に変わる。キリストは偽善者や満ち足りた女よりも彼女たちをより高く評価した。

・十字架を背負い、泥と唾と血のしたたるイエスの顔を布で拭いたヴェロニカ。

・イエスは、12年も長血を患った女を群衆の中から感じ取り、自分の衣に触れる弱弱しい指を感じ、その指を通して女の哀しみを知った。

・捕らえられたイエスのことを「知らぬ」と言った弟子ペテロと彼に見おぼえがあると言ったカヤパの女中を通して、自分は間違わないと頑なにそう信じて、弱い人の弱さや苦しみを理解しないことがどんなに間違っているかを言い、それを教えるためにカヤパの女中がいる。

サロメとその母ヘロジャデ(サロメの踊りに褒美をやると誓ったヘロデにヨハネの首を求めたヘロジャデの要求を飲まざるを得なかったヘロデにはイエスは一言も語らなかった)。

・キリストの復活を最初に見たマグダラのマリアは元々は「七つの悪霊にとりつかれた」女だった。

・イエスと弟子たちをもてなそうと働く姉マルタは、ただ座ってイエスの話を聞いていた妹マリアを非難するが、イエスはマルタに「多くのことに心を使いすぎる。忙しすぎる」と優しく言う。

・ローマ総督ピラトの妻クロウディアは、イエスのことを知らなかったが、それでもイエスの救いをピラトに求めた。ピラトはキリストと盗賊のどちらを釈放するか迷っていた。

・受胎告知を受けてイエスを産んだ聖母マリア。カナの奇跡でイエスは水を葡萄酒に変えた。カナの奇跡は低い人間性を高い人間性に変化させることを意味した。

ルルドの奇蹟とは、ベルナデッタに女が「自分は聖母である」と言ったこと、その場所で地面を掘ると泉が溢れ出たこと。ルルドの奇蹟泉からは今なお水が溢れ出ている。この泉を求めて今日でも不治の病に苦しんだ無数の病人たちが集まってくる。奇蹟を信じないカレル博士が体験したことは『人間この未知なもの』で読むことが出来る。

 

旧約聖書新約聖書も正直馴染みが薄い。これまで多くの西洋絵画を見てきたが、そこに描かれた多数の女性が発していたイメージを思い起こしながら本作を読んだ。