1980年5月文芸書版諸樊 1994年9月43刷 2002年9月新装版第5刷発行
小6のふうちゃんは、神戸の沖縄料理店「てだのふあ・おきなわ亭」の一人娘。両親も近くに住む常連さんも皆沖縄出身。ふうちゃんの父は精神を病んで時々発作を起こし、娘が殺されると呟いたりしていた。担任の梶山先生は優しい先生だった。常連の一人が沖縄出身のキヨシ君を店に連れてきた。キヨシ君はとんがっていた。店を沖縄尽くしで飾ると、常連客の一人が店の外で泣いている姿をふうちゃんは見た。母から戦争で子どもを亡くしたことを聞いた。けれどそれ以上のことは教えてもらえなかった。ふうちゃんは別の常連客に頼んで沖縄戦の写真が掲載された本を見せ勉強を始めるが、集団自決の悲惨な写真を見ると吐き出してしまった。ふうちゃんはキヨシ君がオキナワと呼ばれて蔑まれているのを知った。ふうちゃんが右アキレス腱を切って入院したのに父が見舞いに来ないのを不審がったが、1度だけ見舞いに来てくれた。病院でふうちゃんの看病に付き添ってくれたキヨシ君はおきなわ亭で働き始めた。キヨシ君はふうちゃんやお店の常連達に閉ざした心を少しずつ開き、ふうちゃんに姉が19歳で自殺したことを打ち明け、キヨシ君も沖縄料理を覚え始めた。ふうちゃんは入院中に父が同級生の家で暴れて警察に通報され病院に拘束されていたことを知った。担任の梶山先生はある生徒の手紙がきっかけでお母さんのいない生徒に配慮できていない自分を責めて教師をやり直す決意をした。そのことをふうちゃんに伝え、ふうちゃんも沖縄の歴史を勉強しようと決心した。ただ相手の辛い部分に触れることがいいことなのか悩み、先生に正直に手紙を書いて相談する。何度か先生とやり取りするうちに、ふうちゃんの「知らなくてはならないことを、知らないで過ごしてしまうような勇気のない人間に、わたしはなりたくありません」のひと言は先生を突き動かした。ふうちゃんの父が一人で外出したことがきっかけで、父が沖縄本島南部の海岸にそっくりな場所に出歩いていることに気付き、父の発症の原因が戦争と関係しているとわかる。キヨシ君も自分の姉の死や母が家を出て行った理由を深く考えるようになり、居場所が判明した母にふうちゃんと一緒に会いに行った。母からキヨシ君は手紙を貰う。キヨシ君はかつての仲間から極道から抜けるのは許さないと酷い暴力を振るわれる。抵抗せずに耐えたが、沖縄を侮辱する言葉だけは許せなかったキヨシ君は相手に重傷を負わせてしまう。キヨシ君も二度の手術を受け、回復に向かうと警察が病院に来た。居合わせた常連客の一人は、キヨシ君のことを考えずに、法の前には沖縄も平等だという警察の話に憤り、戦争で指を失った左手を見せ、しかも日本兵の命令で幼いわが子をこの手で殺し集団自決させた苦しい過去があることを告げ、これでも平等と言えるのかと言い警官を沈黙させた。その夜、ふうちゃんは母から父が経験した辛い経験を聞く。キヨシ君は母宛の返事をふうちゃんにも読ませた。ふうちゃんの卒業とキヨシ君の退院祝いで、ふうちゃん一家は父の故郷波照間島に行くのを決めたが、前夜父は急逝してしまった。
沖縄の過酷な歴史を知らずして、軽々に基地問題がどうとか言うことの罪深さを改めて認識した。児童書として何かに紹介されていたように思うが、むしろ大人が読むべき本である。