爆心 青来有一

2006年11月25日第1刷発行

 

谷崎潤一郎賞(第43回)伊藤整賞をW受賞

息子は、妄想から新婚早々の妻の不貞を疑い、脅すつもりだけだったのに誤って死亡させ、精神病院に入院した。息子の両親は先祖伝来の土地を売って賠償金に充てるつもりだったが、そこは原爆で子を失った伯母が住んでいた場所だった。6つの鍵を壊して建物の中に入ると、三壁に釘が何万本も打ち込まれていた。息子は一晩中なにかを叩いていたが、釘を打ち続けていた。息子は神こそ妄想ではないかという。あの釘は一体何なのだろうか。

 

知恵遅れの修ちゃんと現在国会議員の九ちゃんは小・中の同級生で、修ちゃんは九ちゃんにいじめられた時に助けてもらった恩人。修ちゃんは自分の言いたいことがうまく言えず、石になってしまうことが多かった。母が病気で瀕死の状態にあるため、九ちゃんに助けを求めて滞在先のホテルに会いに来た。修ちゃんの洗礼名はアダムで、九ちゃんはトマスだった。ホテルのロビーで待っていると、九ちゃんは修ちゃんに夜遅く会ってくれた。九ちゃんは愛人を秘書にしていたということでマスコミに糾弾された。明日東京に戻り地検に逮捕されるらしい。母だけでなくロビーで会った美人記者にもう一度会いたくて修ちゃんは執拗に九ちゃんに頼み込むが、九ちゃんは怒り出して、修ちゃんを部屋から追い出してしまう。修ちゃんは公園で寒い中一人ぼっちだった。修ちゃんは石になってしまうかもしれなかった。何で神さまは何もしてくれないのでしょうか。天国ががらんどうと知っているのに、それでも祈っているのでしょうか。石になっても愛する家族がほしかった。アダムは祈り続けた。

 

長崎に墜とされた原爆の被害に遭った私は当時15歳の看護婦見習いだった。青々としたウマオイが、ガラスの破片が突き刺さった血だらけの私の足を這っていた。父も母も弟妹も皆亡くなり自分だけが生き残って祖父母に育てられた。ある日ある男性の思い出を語り合える友達も少なくなり、私の知らないあの人の一面を話してくださいとする手紙を受け取った。健康な彼と一度だけあやまちを犯した時、彼は、マリア様はただの白磁の人形でしかない、中はからっぽと呟いた。そんな彼との出来事を幸福な妻への当てつけに手紙を認めた。もう一枚追伸を認めた。彼はウマオイなのです、ウマオイは神を知りませんと。翌日ポストに投函しようとしていた私はウマオイの夢を見た。ウマオイがまだ生きとるねと笑いながら、私の腹に精を放った。

 

自転車のブレーキの利きが悪くなり、中古モーターサイクル店に行くと若い店員がいた。33歳の私はわざとストッキングを脱ぎ、スカートがめくれた状態で腿を露わにし誘惑した。若い店員の目が欲望で輝いていた。以前年下の男の子と不倫した友達の話が私の内の何かを目覚めさせた。明日10時30分に修理した自転車を家まで運んできてと頼み、当日夫の両親は予定通り外出した。若い店員を庭に招き、約束通りキウイを見せ、自転車のスタンドを立てた後、私の肌はすみずみまで汗ばんで甘い蜜の香を放っていた。私も彼も自転車のブレーキもすっかりばかになっていた。

 

肥満体の男性が5歳年上の妻と5年子が授からなかったが、妻36歳の時にようやく娘が誕生した。彼は寝ると、波が街中を覆う夢を見る。愛娘を失くす。妻は実家に帰り、兄は心配して電話してくる。兄は毎日規則正しい生活をするように言う。ごみ出しに行くと、近所のおじさんが散乱したごみを片付けていた。娘のことを聞かれて、4歳で肺炎で亡くなったことを教えた。おじさんの妻だと思っていた人が妹さんと知り、被爆者の妹さんが先日67歳で亡くなったことを知った。妹さんも波が街中に押し寄せ、ゴミを打ち上げていく夢をよく見ていた。彼は夢でなく現実に起きたことだと思う。彼は証拠としていつも集めていたカタラガイをおじさんに見せた。おじさんには何も見えなかった。おじさんは、「わしには信心が足らんとでしょうか」と呟いた。

 

男は昭和20年8月9日、爆心地近くで拾われ、養父母に育てられ、結婚して長女と長男に恵まれた。男の戸籍は父母の欄は空欄だった。還暦を過ぎ、2人の子供は独立して家に寄りつかなかった。男は自分は誰なのかといつも問い続けた。42年勤務した印刷会社を退職し、被爆体験を書くよう頼まれ書いた。ある夜、家の2階で音がするのに妻が気づき、二人で2階に上るが何も見えない。翌朝、テグスに絡まって傷ついた白鷺を妻が見つけた。まだ生きていたが、すぐに死んでしまった。娘も息子も自分達の神が何であるのか考えることさえないのかもしれない。しかし怨むまい。今に始まったことでなく60年以上も前にこの国で始まっていたことだから。