林蔵の貌《三》 北方謙三

2004年5月20日発行

 

高田屋の千五百石船が三艘、千石船が二艘沈められた。ロシアと薩摩によるものだった。薩摩の財政は逼迫し密貿易に頼らざるを得ないところまで追い込まれていた。秀麿は島津重豪を朝廷に引き寄せようとしていた。蝦夷地の狩野信平は水戸藩士をまとめ、朝廷は水戸・薩摩の連合の上に立とうとしていた。林蔵は村垣から高田屋を沈めるよう指示した。高田屋は宇梶屋と交易で競う話をし、間宮とは国を捨てようと考えている話をした。重豪は朝廷と関わりがあることを幕府に発覚するのを最も恐れていた。薩摩はロシアと交易を結び、蝦夷地で間宮を取り込み、水戸に藩をあげて蝦夷地開拓に取り組ませようしていた。間宮はアイヌに入り込んだ信平の背中を押してやりたい思いを抱いた。幕府は蝦夷地を開発する気はなく、水戸藩薩摩藩を邪魔者扱いした。薩摩が林蔵や信平に刺客を放った。信平は死に、林蔵は生き残った。宇梶屋は伝兵衛に、野比様の指示として林蔵を連れて来いと伝える。林蔵は高橋景保から5度目の呼び出しを受け、初めて応じた。村垣は林蔵に鍛冶聖謨を引き合わせた。野比は林蔵に、水戸・薩摩連合が無理であること、民に帝や先の帝を動かす望みがなければ費えると話した。秀麿は林蔵に、高田屋と重豪の間に近藤重蔵が立つのを阻んで貰いたいと頼む。伝兵衛の船に林蔵が乗り込んだ。