月神 葉室麟

2013年7月18日第1刷発行

 

月の章

福岡黒田藩の筑前勤王党の月形洗蔵はもはや尊王攘夷派の過激な行動を押しとどめることはできなかった。11代藩主黒田長溥は、幕府と長州の間を周旋したかった。毅然たる態度で外国に対するためには朝廷と幕府の一和、国内の統一を果たすべきだと考えいた。その長溥の考えをよく理解していた洗蔵だったが、それが成功した後の洗蔵が目指すものと長溥の考えは大きく隔たりがあった。高杉晋作福岡藩に亡命して来た時、洗蔵は晋作を匿い、晋作が長州に戻るための費用も工面した。長溥は洗蔵を長州周旋のために長州に送り込んだ。洗蔵は長州を説得できるのは晋作しかいないと考えて晋作を頼り、西郷隆盛に会って五卿の九州への動座を約束し、先に薩摩の征伐軍の解兵を約束させて、解兵後に動座を実行することを決めた。晋作と西郷の密約で薩長和解が成り、五卿動座も実現したが、長溥は洗蔵の独断を疑い、このままでは福岡藩が取っとられ、倒幕への道に引きずり込まれかねないことを危惧し洗蔵をお役御免にした。幕府が長州再征を決めると、長溥は尊攘派を厳しく対処することにした。洗蔵は長溥が再び自らの赤心を理解してくれる日を待ち望んだ。長溥を幽閉するとの噂が流れ、洗蔵はじめ尊攘派39人が謹慎逼塞が命じられた。晋作に贈った軍資金は長州周旋の任務から逸脱していたため尋問に窮した洗蔵は覚悟を決めた。洗蔵は、長溥を、自らの識見に過剰に自信を持ち、家臣はそれに従って動きさえよいものと思っている、智慧があるがゆえの暗君ではないかと思いながら、刑死した。

 

神の章

鳥羽伏見で幕府軍が敗れ、福岡藩は月形潔たち尊攘派を獄から釈放した。潔は福岡藩権少参事、東京裁判所小健二、内務省御用掛、準奉任権少書記官となり、北海道への集集監建設の調査を命じられた。新しく北海道の地で囚人の殖産可能性と候補地選定のために行動した。候補地が決まるとアイヌ人の協力を得、囚人を利用して獄舎を建設し完成後は飛蝗駆除等の様々使役させた。苛酷な労働関係のために大勢の囚人が死に発病した。樺戸集治監獄に新撰組で二番隊隊長だった永倉新八がやってきた。銃弾の数が減り、諜報活動をさせていたアイヌ人のレコンテの情報によると、脱獄で名を馳せていた五寸釘の寅吉が20数名で脱獄を企てているという情報が入った。予定日より早く実行された。ところが五寸釘の寅吉は動かず、外の者10数名が脱獄しようとした。この大地にひとを閉じ込める場所を作ってはいけないと考えていたレコンテは潔に嘘を付いていた。レコンテは五寸釘の寅吉に逆に脱獄の相談をしていた。レコンテは潔に正しさを求めるよい人だから、ここにいるのは間違っている、あなたのいるべき場所にいなければならないと言った。潔は健康上の理由で辞職願を出したが、本当の理由はレコンテに言われたことだった。人はいつまでも夜の闇に留まっていてはいけない、月であろうとするが故に自分を闇の中に閉じ込めてはいけない、それでは本当の夜明けはやってこないと述べて。妻に話をすると、妻からは「あなたは根の仕事をしたのだ」と言われた。洗蔵たちも根の仕事をしたのかもしれないと思った。寅吉は障害で6回の脱獄を繰り返し、6回目に捕まると、網走で脱獄を企てず模範囚として過ごした。