春風伝《下》 葉室麟

2018年5月20日発行

 

晋作の周辺では、玄瑞、周防が死に、井上多聞も九死に一生を得る。長州を出て九州遊説の中で長州を見たいと思った晋作だが、中岡慎太郎から西郷と会い、薩長同盟を勧められて、西郷に出会い、それしか俗論派の藩を倒し、倒幕の道がないことを覚悟した晋作は奇兵隊の前であえて憤りを起すために演説を打ち、石の目となる馬関に向かい、馬関を短期日の内に要塞化した。伊藤俊輔、山県狂介は晋作に巻き込まれ、井上多聞も駆けつけ、俗論派は瓦解し、再び攘夷派が息を吹き返した。イギリス行きを決意した晋作だったが、一足先に薩摩がイギリスに向かっていた。馬関開港を先にて、改めて赴任するパークスと協議して長州とイギリスとの交易を可能にしてはどうかとグラバーから言われた席には亀山社中を起した坂本龍馬がいた。日本を狙っていたナポレオン三世と幕府が組めば真っ先に長州が潰されると思った晋作は馬関開港を優先させイギリスと交易するのが良いと判断する。桂が長州に戻り、村田蔵六が軍政改革を進めた。10万の幕府軍と3500の長州の兵力差は如何ともし難いが、最新式のライフル銃を装備できるか否かに勝敗の鍵があった。再び龍馬と会い、上海にだぶついている西洋兵器を手に入れるには、龍馬の会社が薩摩名義で買いそれを長州に運ぶのも龍馬の会社がやる、同盟を結ばずとも戦いの備えを優先する。晋作は隊士たちを前に、上海で見た西欧列強の暴慢な振る舞いを改めて告げ、「われらが幕府軍に負ければ、この国をフランスの意のままにされるだろう。それゆえこの戦いは長州を守る戦いに非ず、日本国を守る戦いである。死すとも負けることは許されぬ」と檄を飛ばす。機を見るに敏な晋作が小倉口で勝利を収めたのは敵に戦意を失う何かがあったからだと見抜いたからだ。実は家茂が死んだのが理由だった。小倉口の敗戦を知った慶喜は長州征伐の方針を改める。

おもしろきこともなき世をおもしろく すみなすものは心なりけり 享年27歳8か月。

 

久しぶりに、高杉晋作、を読みました。何度読んでも良いものは良いです。が、葉室麟さんの春風伝が一番良かったです。