2016年1月20日1版1刷
帯封「どん底から最高益へ。沈みかけた巨艦・日立を再生させた立役者が、経営改革の要諦と自身の半生を語る。」
表紙裏「大企業でありながら繁栄を永続させるのは並大抵のことではない。節目で『痛みを伴う改革』を実施してこそ、新しい時代との適合が可能になり、新たな生命力が会社に吹き込まれる。それができた会社は、たとえば2008年に起こった世界金融危機のような外乱にも耐えられるが、そうでない会社は、劣化が進んだ事業を発端にして経営破綻に至ることがある。老舗企業が再び若々しさを取り戻すためには何が必要か。これが、日立の経営者として私が取り組んだ課題である。 (本文より)」
著者
1939年、北海道生まれ。62年東京大学工学部電気工学科を卒業後、日立製作所に入社。電力事業部火力技術本部長、日立工場長を経て、99年副社長就任。2003年日立ソフトウェアエンジニリング会長、07年日立マクセル会長などを務めるが、日立製作所が7873億円の最終赤字を出した直後の09年、執行役会長兼社長に就任、同社再生を陣頭指揮する。黒字化の目途を立てた10年に社長を退任、14年には取締役会長を退任し、現職(日立製作所相談役。元取締役会長)。
目次
序章 100年企業の改革
第1章 日立の経営改革
第2章 痛みを伴う改革の実践ー私の経営論
第3章 受け継いだもの
第4章 私と日立
第5章 よい人生とは
あとがきにかえて
・アメリカを代表する大企業で構成される株価指数「ダウ工業株平均」は、1896年、優良企業12社が選定されて始まったが、それから120年が経過したいま、その12社のうちで生き残っているのはゼネラル・エレクトリック(GM)ただ一社である。基盤が強いようにみえる大企業であっても、時代の風雪をくぐり抜け、100年を越えて繁栄を続けるのは容易なことではない。日本でも同じだ。100年を超える歴史を持つところはいくつもあるが、ずっと順調に右肩上がりの成長を続けてきた企業はほとんどない。最善の経営者とは、平時から「痛みを伴う改革」を継続的に実行できる人である。これが永続して繁栄する企業への唯一の筋道だと思う。
・今もスマートフォンに英語のラジオニュースを録音し、通勤の車中でそれを聞いてリスニングの練習をしている。
・社長になったら、副社長の頃に比べて見える景色が格段に広がった。「高さで3倍、視野で9倍になった」と当時言った。老化した部分もはっきり認識でき、伸ばすべき分野も見えた。あとは似た考え方を持つ少数精鋭の経営陣と一緒に経営改革の実行あるのみだった。ザ・ラストマン、慎重なる楽観主義、部分最適より全体最適、大事は理で小事は情で、会社は社長の器以上のものにはならぬ、損得より善悪などといった、長い会社生活の中で自分のなかに取り込まれていた先達の言葉や考え方の数々にも導かれ、皆と一緒に無我夢中で経営専門職としての社長業を務めた。これからは「心せよ、まだまだいいことが待っている」という言葉に頼ることにしよう。