孤独な群衆〈上〉デイビィッド・リースマン 加藤秀俊/訳

2013年2月21日発行

 

ルイス・ブランダイスの秘書。

帯封に「読み継がれて50年」、「『社会の諸制度が個人のなかに、その社会にふさわしい性格をうえつけてゆく』個人と社会、時代との関わりを論じた普及の名著、改訂訳版で登場。初版(1950年)から20年後に書かれた新たな『まえがき』を付す」「この本でとりあつかうのは、社会的性格と、ことなった地域、時代、集団にぞくする人間の社会的性格の相違についてである。われわれは、いったん社会のなかにできあがったことなった社会的性格が、その社会での労働、あそび、政治、そして育児法などのなかに展開してゆく仕方をかんがえてみたいとおもう。そしてとりわけ、19世紀のアメリカの基調をなしたひとつの社会的性格が、まったくべつな社会的性格にだんだんと置きかえられてきている事情を、この本では問題にしてみたい。なぜ、こうした変化がおきたのか。どんなふうにこの変化がおきたのか」とある。

 

「日本語版へのまえがき」では、日本の読者には、この本を、あくまでアメリカ論のひとつにすぎないものとしてかんがえてほしい、アメリカ擁護の本だとかアメリカ批判の本だとかいうふうな仕方でうけとっていただきたくない、と述べている。

「まえがき」は75頁もあり、それ自体、異色だと思うが、著者が元々法学教授として名誉毀損社会心理学を教えていた、世論調査の発展に胸を膨らませていた、わからないという反応がいったい何を意味するかをさぐることに関心を抱いていた、という所に関心を持った。その上で「伝統指向」から「内部指向」を経て「他人指向型」に至る歴史的変化を論じた書物ではあるものの、心理学的な問題として「適応型」「自律型」「アノミ―」の問題を扱い、「人口」「政治」(際立って印象的なのは「一般的にいって、いわゆる指導者たちというのは、たんにより尊大で、より熱心にはたらいている囚人のごときものである。かれらは他のひとびととおなじように無力感におそわれているのだ。かれらは、他の人々に比べれば、より大きな権力を『もっている』。しかし、それをどうつかったらいいのか、かれらにはわからないことがしばしばなのだ」という。)「マス・メディア」「自律性とユートピア」の項を立てて、詳しいまえがきを綴っている。

 

さて、本論に入ろう。

第1章 性格と社会のいくつかのかたち

 著者は、19世紀のアメリカの基調をなしたひとつの社会的性格が、まったくべつな社会的性格にだんだんと置きかえられてきている事情を問題にしたい。なぜこうした変化が起きたのか、どんなふうにこの変化は起きたのか、それらの変化は生活の主要な領域でどんな影響をもたらしたのか。これが本書の主題である、とする。

 そして、第1の高度成長潜在的な社会では、その典型的な成員は、その同調性が伝統にしたがうことによって保証されるような社会的性格を持つ。こうしたひとびとを、著者は「伝統指向」とよび、彼らの社会を「伝統指向に依存する社会」と名付ける。

 第2の過渡期的人口成長期の社会では、その典型的成員の社会的性格の同調性は、幼児期に、目標のセットを内化する傾向によって保証される。こうしたひとびとを、著者は「内部指向」とよび、彼らの社会を「内部指向に依存する社会」と呼ぶ。

 第3の初期的人口減退の段階。この段階では、外部の他者たちの期待と好みに敏感である傾向によってその同調性を保証されるような社会的性格が、その社会の典型的成員にゆきわたる。これらのひとびとを、著者は「他人指向」とよび、その社会を「他人指向に依存する社会」と呼ぶ。

 

第2章 道徳性から意欲へー誰が性格形成をしてきたか

 先の3つを機軸に、親たちの役割の変化、教師の役割の変化を分析していく。

 

第3章 仲間たちの審判―誰が性格形成をしてきたか(つづき)

第4章 物語技術のさまざまー誰が性格形成をしてきたか(つづき)

第5章 内部指向の生き方

第6章 他人指向の生き方―「神のみちびき」から「お愛想」へ

第7章 他人指向の生き方(つづき)-もう一つの顔

 

下巻では「自律性」を詳しく取り上げているようだ。

第1章までは何とく理解できた感じもしたが、第2章以下は、元々がなじみの薄い分野なので、正直言って理解できたというにはほど遠かった。