宇宙を開発した人々 ツィオルコフスキー・ゴッダード・オーベルト・フォン=ブラウン・ガガーリン  関口直甫

昭和 40 年 6 月第 1 刷発行 昭和 57 年 6 月第 21 刷発行

 

ツィオルコフスキー  つんぼになっても独学でコツコツ勉強を重ねる

 不自由な耳と貧乏とに苦しめられながら、独学で勉強し、大空に飛び出す夢をひたすらに追い続けた偉大な学者

 

ゴッダード  世界で初の液体燃料ロケット

 お金も名誉ももとめず、ひとりでこつこつとロケットの研究を行ない、世界で最初に液体燃料ロケットを作った人

 

オーベルト

 宇宙飛行はかならずできる、という大胆な説を唱え、宇宙旅行協会を作って、大勢のロケット学者を育てた人

 

フォン・ブラウン

 貴族の家に生まれながら、好きな道のためにすべてを捨て、ロケットを作ること一筋に生きて来た、ロケット作りの天才

 ドイツ生まれのロケット作りの天才はロケット兵器で多くのロンドン市民を殺害する。捕虜となってアメリカに連れて来られた後もロケット開発を続け、その時代で最も高性能のロケットを作る。アメリカの海軍や陸軍よりも高性能のロケットを作ったという(のだからある意味恐ろしい)。そうこうしているうちにソ連アメリカより一足先に人工衛星の打ち上げを成功させ、追いつかなければならなくなった米国は面子に拘っている場合ではなくなり、この天才に頼り、遂にアメリカ初の人工衛星エクスプローラー」が誕生し人工衛星として成功。アポロ計画にも参画した(この本の発行時には、まだ月面着陸していない)。

 

ガガーリン

 貧しい家に生まれながら、誠実な努力を重ねて、鋳造工から、ついに世界で初めての宇宙飛行士になった人

 戦争で満足に小学校にも行けず新聞紙に炭で字を書いて習う。中学校に進むと、ピイネール(少年団)に入団。貧しいために中学校を卒業すると鋳造工として働く。1年後、仕事をしながら夜間中学校に入学。テフニクム(中等工業専門学校)に進み航空クラブ(航空術についての夜間大学のようなもの)でも勉強し、航空士官学校に合格。卒業と同時にワーリヤと結婚し、どこでも自分の希望する勤務地に行けたが、ガガーリンは北極地方の基地を希望する。妻からどうして北部に行くのかと聞かれ、ガガーリンは「そこには、いつも困難があるから」と答える。新しい勤務地に移っても夜間大学に入学し、共産党候補党員に選ばれ女の子にも恵まれたころ、宇宙飛行士になることを決意。厳しい訓練に耐え、遂に世界初の宇宙飛行士となり、帰国後熱狂的な歓迎を受ける。有名人になってもガガーリンは航空大学に生徒として入学し通信教育で授業を受けた。「自分はどんなところに置かれたって、死ぬまで勉強と努力をつづけるのだ」。惜しいことに訓練中の飛行機が墜落し34歳で亡くなる。