昭和39年6月5日初版発行 昭和53年10月10日18版発行
月から見た地球
月から観た地球は、円かな、
紫の光であった、
深いにほひの。
わたしは立ってゐた、海の渚に。
地球こそは夜空に
をさなかった、生れたばかりで。
大きく、のぼってゐた、地球は。
その肩に空気が燃えた。
雲が別れた。
潮を、わたしは、草木と
火を噴く山の地動を聴いた。
人の呼吸を。
わたしは夢見てゐたのか、
紫のその光を、
わが東に。
いや、すでに知ってゐたのだ。地球人が
早くも神を求めてゐたのを、
また創ってゐたのを。
解説には「北原白秋は天性の詩人である、とみなはいう。誰でもいう。何の苦もなく詩の言葉を流露した人である、と。しかし、ひとたび白秋家にのこされた膨大な詩の草稿、ノート類をみるならば、僕等は忽ち、そうした、ありきたりな評価を恥じなければならぬだろう。訂正に訂正を重ねられた詩句、一行の発見に苦しむあいまにふと書きしるされた落書のごときものなどが混然としていて、詩の密室における白秋の作業が、どんなにきびしいものであったかを、ぢかに伝えてくれる。「抒情の歌は自分じしんの息のしぜんと心の底からあふれ出るやうに歌ひたいものである」と白秋自身、洗心雑話のなかで語っている。「それは容易いやうで、なかなかさうゆくものではない。ヴェルレエヌの草稿を見れば殆ど字も真黒になってゐるさうである。初めに書いた文字などは殆ど跡かたも無いほどに消されて、まるで別な新らしいものになってゐるといふ。それが自然と自分の息づかひとおんなじになってゐる。技巧を獨りに卑しむ人は考へねばならぬ事である。」・・
不完全な言葉を、練りあげる仕事に全力をそそいだのだ。態度としては、詩の自然発生的な自在さを愛しながら、実際は、自然発生する地点にまで、心と言葉の双方をつきあわせ、均衡させ、たたかわせたといえる。・・恰も日本のゲーテのおもむきさえある。
生涯を通じて、言葉の練度を心掛けた詩人ではあるが、作品には、その年代によりさまざまの傾向がある。「邪宗門」の象徴詩的傾向、「思ひ出」の鮮美な抒情、「畑の祭」の明るく男性的なリズム、「真珠抄」のユーモアと自己韜晦のにがい諷刺、「白金ノ独楽」の祈りのエクスタシー、「水墨集」の幽玄雅趣、「海豹と雲」の万葉ぶり等々、こうしたスケールの大きい詩人に接するとき、人々は自らの好み、自らの心の状況にじゅんじ、適当にその一部にふれていけばいい」と。