逃亡者 中村文則

2020年4月15日第1刷発行

 

帯封「『一週間後、君が生きている確率は4%だ』突如始まった逃亡の日々。男は潜伏キリシタンの末裔に育てられた。信仰、戦争、愛―。この小説には、そのすべてが書かれている。」「いつか書くと決めていた。-中村文則 世界で絶賛される中村文学の集大成 『君が最もなりたくない人間に、なってもらう』第二次大戦下、“熱狂”“悪魔の楽器”と呼ばれ、ある作戦を不穏な成功に導いたとされる美しきトランペット。あらゆる理不尽が交錯する中、それを隠し持ち逃亡する男にはしかし、ある女性と交わした一つの『約束』があったー。キリシタン迫害から第二次世界大戦、そして現代を貫く大いなる『意志』。中村文学の到達点。」

 

第二次世界大戦中、日本軍を鼓舞し続けたトランペットが、ドイツのケルンにいる主人公の手元にある。その部屋に突然正体不明の人物が押し掛けてくる。話は2年前に遡る。主人公は、日本に留学生として来日したアインと知り合う。8人の大部屋に住みバイトを掛け持ちしなければ生活できない厳しい環境で暮らしていた。2人は相思相愛の関係になり、結ばれる。アインは自分のルーツを小説に書く夢を持っていた。トランペットの話も小説の中に入れようと考えていた。が、ある日、アルバイト先近くで行われたヘイトスピーチとそれを辞めさせるデモとの衝突騒ぎの中で男に押されて頭を打って亡くなってしまう。主人公は悲嘆にくれ、そんな中、トランペットをある人物から渡されて追われる身となる。

話は、昔のキリシタンの迫害に遡る。遠藤周作の『沈黙』ばりに神の沈黙の問題を扱っている。主人公は長崎でキリシタンの末裔に育てられ、アインもキリシタン迫害で祖国を離れた日本人にルーツがあった。長崎の平和記念像のそばで考え事をした後、主人公が大衆食堂に入ると投資詐欺で公開捜査に踏み切った重要参考人としてテレビに流され、謎の教団の信者の女性の店員からトランペットを要求され、楽譜の写しと交換に渡すことを約束する。謎の教団“Rの光輪”のリーダーがいる高級ホテルに出向き、予め用意していた偽物のトランペットを差し出すが、偽物とすぐにバレる。部屋に隠しておいたトランペットがその場に持ち込まれる。が実はそれも偽物だった。渡された楽譜はラブソングだった。

最後は、トランぺッター鈴木の手記が掲載される。狂喜の音楽が人をこれでもかこれでもかというくらい狂わせるシーンが続く。主人公は相当年月が経過した後、鈴木の婚約者に出会い、手記のうち、鈴木が婚約者を愛している、だから他の男性を好きになって欲しいという部分を伝え、トランペットを手渡す。

最後のエピソードでは、主人公とアインの本『片側の物語』は出版され、Nが帯封を書く。

 

本書のキーワードの一つは「公正世界仮説」だ。人々は基本的に、この世界は後世で、安全であって欲しいと願う。理不尽に、危険が存在する社会ではない方がいい。正義は勝ち、努力は報われ、悪をすればすっきり罰せられる社会の方がいい。しかしこの仮説が広がれば広がるほど世界や社会を改善しようと思う人間が減るというパラドックスに陥る。要は、世の中はそう簡単じゃない、あるがままの世の中を受け入れ、自分を受け入れていかない限り、世の中も自分も良くなっていかないということなのかもしれない。

それにしても、宗教、戦争、愛というテーマを書くのに、戦場のトランペットの話、逃亡者の主人公とアインの結びつきの話、長崎のキリシタン迫害と原爆という組み合わせは、どうにも正直言ってしっくり来ないような気がする。