ディズニーとチャップリン 大野裕之

2021年6月15日初版第1刷発行

 

帯封「『自分の作品の著作権は他人の手に渡しちゃだめだ』初対面時、チャップリンがディズニーへ贈った言葉 難い友情と時代に翻弄された離別。知られざる2人の師弟関係」「ディズニーは、キャラクターの創作とストーリーの大切さといった芸術面と、権利の保持や配給会社との条件交渉などのビジネス面をチャップリンから学んだ。彼の成功の秘訣は喜劇王の教えにあった。さらに、それを分業制にすることで、末端まで創作意欲を湧かせ、ディズニー社を個人商店だったチャップリンをしのぐ大会社へと育てていった。(中略)チャーリーとウォルトが出会い、両雄が君臨した1930年代―トーキーとカラーの時代が来たハリウッドにはサイレント時代からの大御所スターに加えて、政情不安なヨーロッパからの移民の才能も結集してきた。この頃からアメリカが第二次世界大戦に参戦するまでの間は、従来のコメディやドラマが成熟したところに、新たにミュージカル映画が流行し、アニメーションや恐怖映画、ギャング映画など多様なジャンルで花盛りとなったハリウッドの黄金期の一つだ。その時代の三大メガヒット作品と言えば、言うまでもなく『風と共に去りぬ』、ディズニーの『白雪姫』、そしてチャップリンの『独裁者』だ。(p165)表紙裏「ミッキーマウスは、姿形の点においてもチャップリンをモチーフとしていた。チャーリーの帽子の代わりにミッキーには黒い特徴的な耳があった。放浪者のきつい上着とぶかぶかの大きなズボンの対比は、ミッキーにおいては、小さな上半身と丸くて大きなお尻のズボンへと受け継がれた。チャーリーの象徴でもある大きなドタ靴は、ミッキーの体に比べて極端に大きな靴になった。常につま先を外側に向けている立ち方も共通している。第1章で、ディズニーの生涯の野心とは、「もう一人のチャップリンになることでした」という妹ルースの証言を紹介したが、俳優の道を諦めた代わりに、彼は「もう一人のチャップリン」をアニメーションの世界で創ったのだった。(本文より)」

 

目次

プロローグ

第1章 チャーリーとウォルト

第2章 キャラクター権利の発明者チャップリン

第3章 ミッキーマウスの誕生 モデルはチャップリン

第4章 放浪紳士チャーリーとミッキーマウス

第5章 戦争 二人の別れ

第6章 二人の巨人のレガシー

エピローグ 二人が最後に見た夢

 

・戦争を推し進めるアメリカにとりチャップリンは邪魔な存在。FBIはチャップリンのスキャンダルをでっち上げようと躍起になっていた。…そんなFBIによって、極めて好都合な女性が現れた。チャップリンに好意を抱き、一時期親密になったバリーはチャップリンの子を身籠ったと主張し始め、血液検査でチャップリンの子でないという結果が出ると、民事裁判でチャップリンを攻撃する方針に転換し、血液検査を証拠として採用しない州を選んで裁判を起こし陪審員たちを買収し、結果チャップリンが敗訴し、新聞はチャップリン共産主義者で女性の敵だと書き立て、国をあげてのネガティブ・キャンペーン盛り上げ、彼はアメリカでの大衆の人気を一気に失った。

・戦後もチャップリンには映画公開時の記者会見で作品はそっちのけで「あなたは共産主義者か」などの質問が飛び、チャップリンは「国際主義者です」と答えて、右翼は激昂し、上映妨害を行った。

・マスコミは相変わらずチャップリンを非愛国者となじるバッシングを繰り返し、なぜアメリカ市民権を取らないのかと質問すると、「私は世界市民です」と答え、共産主義者かと問われると、「平和の扇動者」ですとユーモアたっぷりに答えた。

・「ライムライト」制作後、イギリスと渡ると、アメリカ再入国許可が取り消されたが、ヨーロッパで民衆から最大級の歓迎を受け、「ライムライト」は記録的なヒットとなった。

 

知っているようで、あまり知らなかったチャップリンの迫害の人生。喜劇王として、信念のままに見事な人生を送った。ディズニーがチャップリンを師匠と考えていたというのもこの本で初めて知った。フランク・ラスキーの言うように「ディズニーとチャーリー・チャップリンは。ハリウッドがこれまでに生んだ、たった2人の本物の天才だ。」