デジタル空間とどう向き合うか―情報的健康の実現をめざして 鳥海不二夫 山本龍彦

2022年7月8日1刷

 

帯封「炎上、分断、誘導、中毒-いまネット上で何が起きているのか? 日々、アテンション・エコノミーにさらされる私たちは、ネット世界とどう折り合いをつけるべきか。」

裏表紙「見たい情報しか見なくなる。自己決定のつもりが他者決定に。「分断」や「極化」が加速―。インターネットは利便性を高める一方で、知らず知らずのうちに私たちの「健康」を蝕んでいる。計算社会科学者と憲法学者が、デジタル空間に潜むさまざまな問題点を指摘、解決への糸口を探る。」

 

目次

はじめに

第1章 アテンション・エコノミーに支配される私たち 

第2章 デマの拡散や炎上はなぜ起こるのか、誰が起こしているのか 

第3章 分断を加速するフィルターバブルとエコーチェンバー

第4章 デジタル空間と言論の自由 

第5章 プライバシーと尊厳はいかにして保護されるべきか

第6章 情報的健康をどう実現するのか

<巻末付録>共同提言「健全な言論プラットフォームに向けて――デジタル・ダイエット宣言version1.0」

 

計算社会科学者と憲法学者が本書でコラボした理由について、第1章で、端的に、ネットの世界が、行動経済学の「二重過程理論」でいうシステム2が働くことが期待されているシステムでシステム1が働いていることになっているとすれば、理性的でない動物的な部分を正面から認めたうえで、どういう情報空間が望ましいのか、情報提供はどのように行われるべきかを考えていく必要があるからだと説く(32P)。

二重過程理論については、第2章で、人間の認知システムは、二つのシステムからなっており、一つ目は「システム1」と呼ばれる反射的に働くシステムで、もう一つは「システム2」と呼ばれる、じっくり考えて反応するシステムであると解説する(60~61P)。

 はじめに、で、情報の摂取と食事のとり方がよく似ていると指摘し、情報摂取には、新たな知見を得て、賢くなるという側面と、エンターテインメント、楽しみのため、という側面があり、一方で、情報摂取は私たちが食事をするときに働かせているような「抑え」は存在せず、毎日好きなものばかり食べている状態に近い、しかし食事については私たち自身をアップデートさせてバランスを考えるようになったのと同じように、情報についても私たち自身をアップデートさせ、バランスの良い情報摂取を実現できるのではないかという本書の執筆目的が示されている。

 その第一歩として、ユーザーが主体的に情報を取捨選択する手助けをすることをあげ、アテンション・エコノミーという現代社会を支配する強力な経済原理がある中で、何ができるか、「情報的健康」をキーワードに社会がどうあるべきか、今できることは何かを探りながら、新たな社会の在り方を考えるきっかけにしたいと語られている。

従来型のリテラシー論だけではなく、合理的な判断を支援する仕組みや環境を社会的な制度として構築すべきだという本書の提言は抽象度は高いものの、一定の説得力を持っている。

 また、従来の「思想の自由市場論」の生誕地であるアメリカでさえ、言論空間に対する自由放任主義への根強い信仰がある中、コロンビア大学の法学者ティム・ウー(バイデン政権で、技術・競争政策担当の大統領特別補佐官も務める)が健全な政治的コミュニケーションを取り戻していくためには伝統的な考え方を見直し、国家が思想市場に「介入」する必要があると主張しているという点にはちょっとした驚きを覚えた。もっとも「介入」と言っても国家による介入のことではなく、市場における競争条件の整備ちった競争法的な意味での「介入」という意味らしいが(116P)。

 おわりに、で、カナダの哲学者ジョセフ・ヒースの重視しているもの、合理的な判断をすることができる外部的な環境―「外部の足場」―を構築すること、これがシステム2を維持するために現在人類が取り組むべきプロジェクトであると主張している。

 ここまで読んで、本書の巻末に付録として掲載されている「デジタル・ダイエット宣言」がおおよそどのようなものを目指しているのかが、少し理解できたような気がした。

 いずれにしても、抽象度の高い議論が展開されているが、それでもシステムの中に人間の理性を担保しようとする方向性自体は賛成できる。が、カントのような裸の理性や啓蒙主義ではない新しい啓蒙主義が要請されている、というのが現代のデジタル環境であるようだ。