孔子《中》 井上靖

2006年11月20日発行

 

蔫薑(えんきょう)がこの語りの名前であることを告げる。

有名な“五十にして天命を知る”とは、御自分が為そうとしていることに、天の使命感を感じたということが一つ、それから使命感を感じた以上、当然なこととして、大いに努力はするが、いくら使命感を感じようと、いかにそのために努力しようと、そのことの成否となると、それは、また、別問題である、成功するかもしれないし、思わぬ妨害があって、成功しないかもしれない、すべては天の裁きに任せる他はない、ということを考えに入れている。

蔫薑に対し、高弟の子路・子貢・顔回のうち、孔子が最も信頼して後事を託そうとしたのは誰であったかを問う。蔫薑は大勢の赴くところは顔回子路、子貢という順序になるが、孔子が最も大きい愛情を以て包んでいたのは子路であったという。理由は子路という男は眼が離せないからだと。但し子路に後事を託すというのは無理である。子路は後事を託すようなときまで生きていないからだ。正義のためにいつでも命を捨てる男だからであると。そして孔子に関する資料集め自体は大事であるが、どれだけ沢山集めてもその資料のどこに孔子のお心が入っているか収まっているか、それを考えるべきであるという。