昭和55年6月5日1版1刷 昭和59年2月23日1版15刷
①文学熱にうかされて
②慶応にホッケー部創設
③社会生活第一歩
④繊維業駆け出し時代
⑤恐慌下の綿業会
⑥実業同志会時代
⑦財界代表で追放審査委員
・郷里は山口県の萩。松陰の実兄の杉民治の孫。慶応卒業後は久原工業所(のち日立鉱山)の東京事務所に雇われた。仲人は鐘紡の元社長の武藤山治氏で、紡績界に移った。欧州大戦が始まってから実業界の人が皆いい気になって豪勢な生活をしているのに武藤さんだけは奥さんの作った弁当を下げて汽車で工場に通っていた。その後相場が暴落し、今まで宴会ばかりやっていた連中が尾羽打ち枯らす中で、武藤さんばかりは相変わらず平然と弁当箱をさげて工場へ通っていた。武藤さんは偉かった。経済人はもっと政治に関係しなければならぬという武藤さんの熱意が予想以上に反響を呼び、同志会から武藤さん始め12人の当選者を出した。運動員に金をやって労をねぎらうとこれが選挙違反に引っ掛かり2か月余り未決に入った。その時毎日1冊くらい本を読んだ。会議所に入り戦後会頭に推された。追放審査委員会の委員に財界人で唯一選ばれ大阪から毎週1回も欠かさず出席した。これが大変な苦労だった。