孟嘗君と戦国時代 宮城谷昌光

2009年5月25日発行

 

表紙裏「古代中国の大国・斉に生まれた孟嘗君は、秦から脱出するさい食客たちによって助けられた『鶏鳴狗盗』の故事で名高い。多様な力が国と人とを動かす混乱の戦国時代にあって、かれは諸国を縦横無尽に歩き、貴賤と交わり、知恵と誠実をもって燦然と輝く存在だった。孟嘗君はまさに戦国時代を体現していたのである。逆境にあって悲観せず、むしろ自らの糧として理想の実現に邁進した孟嘗君の生涯を、作家の目で読み解く。」

 

目次

はじめに

第一章 戦国時代と四君

第二章 斉国と臨淄

第三章 威王の時代

第四章 斉の二大戦争

第五章 孟嘗君の誕生と父 靖郭君

第六章 稷下のにぎわい

第七章 孟嘗君の活躍

第八章 孟嘗君と斉国の命運

系図

本書関連年表

 

祇園祭の起源は、平安時代の「祇園御霊会」。函谷鉾の天王台には孟嘗君の人形が取り付けられている。

・『資治通鑑』は戦国時代から宋の直前の五代の時代までの時代が記されているが、日本語に訳した全訳はまだない。

孟嘗君が109ページになってようやく登場。が3ページほどですぐ消えて再び141ページ以下に再登場。

孔子の教えはおもに下級貴族の士に浸透し、士が中央あるいは地方の政治を行うという状況が生じたことで、支配者の為の学問となった。孔子の理念に猛烈に破発したのが墨家の祖である墨子である。

・中国で最初の成文法を公布したのは春秋時代の鄭の宰相子産である。民を護るために定めた。これを公孫鞅は支配者の為の法に変えてしまった。秦を強大にし統一を果たしたが、その法が自滅を招いた。

孟嘗君食客の一人馮驩(ふうかん)は取り立てを行ってくれるよう頼まれて、取り立てが終ったら何を買ってきましょうかと聞くと、滅多に無い物を買ってきてもらおうと答えがあったので、債券を集めた後悉く焼いた。義を買ってきたというと、孟嘗君はムッと無機嫌になった。後に薛に奔らなければならなくなった孟嘗君を喜んで出迎えた老若男女を見て「義を買ってくださったわけを初めて見ました」と言い、その後、魏へ往って相となった。