限りない想いを歌に 私の履歴書 石井好子

1991年12月5日1刷

 

私の履歴書

大正11年8月4日下谷生まれ。長女京(夫は慶応大学名誉教授・朝吹三吉)、弟公一郎(ブリヂストンサイクル相談役)、弟大二郎(昭和海運会長)。父は警視庁勤めの後、朝日新聞東京営業部長として迎い入れられ新聞人の娘として育った。母の祖父は逓信大臣、父久原房之助も政治家だった。第六高女、東京音楽学校声楽専科と進み、白百合高女の音楽講師を一時期務めた後、結婚して、終戦の年の9月、ジャズバンドで歌手としてデビューした。夫は酒におぼれ4年目で別れた。結婚前にリサイタルでシャンソンを3曲歌った。サンフランシスコからフランスに渡り、幸運にもパスドックという店でデビューを果たした。フランスでヒット曲を出したが、4年半後日本に戻った。が日本にいてプラスになることが少ないと思え、再びパリへ戻った。スイス、ドイツ、ベルギー、スペインと渡り歩き、キューバにも言った。再び帰国すると折からのシャンソンブームにのり歌いまくった。石井音楽事務所を始め、土居と再婚。仕事は多くなったが収入はたいしてあがらなかった。一流のシャンソン歌手でもギャラは歌謡曲歌手の10分の1にも足りない。経営経理にうとい私は徳間康快氏に社長をお願いしたが再建かわなず2年後事務所を閉じた。夫が58歳で亡くなったが、歌手として復帰し、三回忌を過ぎて水泳を始め年齢別50メートルで優勝した。45周年リサイタルを盛会で終えることが出来た。

 

・この1年(1990年)

オリンピア劇場で一人リサイタルに挑戦し、成功させるまでのエピソードを綴る。「志楽」楽しみながら志をつらぬいていくという意味である。この言葉で本書は終えている。