砧をうつ女 李恢成(りかいせい) 芥川賞全集第9巻

1982年10月25日第1刷 1997年4月5日第5刷

 

第66回昭和46年下半期

母のジャンスリ(張述伊)からジョジョと呼ばれる少年は、9歳になっても時に寝小便をした。その度に母が伯母の家に行かせ尻を叩かれた。33歳の母が6人目を出産する時、重篤になり駆けつけた時には亡くなっていた。母の死後、父は怒りっぽくなった。母は慶尚道の農村生まれだが、砧をうって一生を過ごす邑の娘にはなりたくなかったので、三年経ったら戻ってくるという約束で日本に行ったが、母は3年経っても故郷に帰らず日本に住み続け、炭鉱で知り合った男と北海道へ移住し、10年ぶりに3人の子供を連れて故郷慶州に帰国した。母は1か月ばかりいた。母は両親に一緒に樺太に住もうと言うが、33歳で亡くなってしまった。母は少年に私の子供ではないと何かの時にこう言って僕を困らせた。笑いながら橋の下から拾ってきたとも。母の折檻は厳しかった。自分を私の子に育てようとしていると漠然とながらそう思った。母が亡くなった後、ある日父が男泣きしたことがあった。妻に優しく振舞えなかった男の苦し紛れな自責の表現を繰り返した。それでも父は自分を励まそうとした母がそのような志を持ったまま死んだ女であったことを自責をこめて語った。