デジタル・ファシズム  日本の資産と主権が消える  堤未果

2021 年 8 月 30 日第 1 刷発行 2021 年 9 月 20 日第 2 刷発行

「日本デジタル化計画」の恐るべき裏側を告発する本書。

 第1部は「政府が狙われる」。デジタル庁、スーパーシティを通して、便利なデジタル化が進めば進むほど、切り捨てられていく大切なものがあるとの指摘は鋭い。「福祉や教育や医療など、政府による公共サービスには、デジタル技術や民間業者にはカバーしきれない、人間の力を必要とする領域が確かに存在する。なぜならそこには、相手の痛みに心を寄せる想像力や、声をあげたくてもあげられない人々の声をすくい取る、データでなく『共感』に動かされる手が必要だからだ。アメリカで起きたこれらの例(公務員を減らしたせいで、しまったと思った時には、福祉の知識と現場の経験値を持つベテランのケースワーカーが、いなくなってしまった、など)は、『公共サービス』において、業務を合理化する最新テクノロジー以上に大切なことが何であるかを気づかせてくれる。デジタル化を、福祉切り捨てに利用することのリスクと、どんなに便利になろうとも、行政に人間を育てる予算を決して削らせてはならないことを。」(63 頁)また「サーバーを制するものがデジタルを支配する」(72 頁)との指摘は当然と言えば当然のこと。ところが日本が結んだ RCEP 協定(地域的な包括的経済連携協定)は、今後中国企業が日本国内でデジタル事業に参入する際、サーバーが北京に置かれても日本は文句を言えなくなった。アメリカとの日米デジタル貿易協定でもアメリカに押し切られ、GAFA のようなテック企業に有利になる契約を結んでしまった。
 デジタル化が進んでいるエストニアでは個人情報を政府や企業が自分たちの都合で勝手に使うことができないよう、かなり強力な規制を敷いた。例えば医師や警察が国民の個人データにアクセスするときは、必ずログインし、それが職務上必要だと承認された場合にのみアクセスが許可される。ログインされるたびに残る履歴は国の「公共サービス」だ。公的な場所に記録されることによって透明性が維持され、国民は自分の情報に、いつ誰がどんな目的でアクセスしたかを、自由にオンラインで確認できるようになっている(78 頁)。これくらいの高度な意識と公的な仕組みが整ってこそデジタル化は進められるべきだと思う。

 第2部は「マネーが狙われる」。改正特定商取引法が 2021 年 6 月 9 日に国会を通過した。消費者の同意があれば紙の契約書がなくともデジタル契約が可能になった。紙の契約書を見た家族や民生委員が契約を白紙に戻すことができたのにこれが難しくなるという。また新韓銀行とゆうちょ銀行との業務提携ニュースもほとんど報道されていないが、ウォール街の金融植民地となっている新韓銀行と 600 兆もの総預金額をもつゆうちょ銀行が提携することにより個人情報がここからも流出していく危険がある。また 2021 年 5 月には銀行が買える非上場企業の株式の上限が 5%から 100%にまで引き上げられた改正銀行法が成立している。これらを通して著者はお金の主権を手放してはいけないと警告する。

    第 3 部は「教育が狙われる」。教科ごとに 1 人の先生がいればよい。そしてバーチャル教育が語られる。こんな環境がすぐ目の前に迫ってきている。しかし教育とは単なる情報の伝達ではないはずだ。教育の現場から人間味がなくなってしまえばそれはもはや教育ではない。しかしこの教育分野こそ金の成る木だと考える利益至上主義の人物・企業がいるのも事実である。子ども一人に 1 台のタブレットが渡るようなった今日の教育環境の中で絶対に失ってはいけないもの。それを見失ってはいけないと著者は訴えかける。その通りだと思う。