一握の砂・悲しき玩具  石川啄木歌集 石川啄木 金田一京助編

昭和27年5月15日発行 昭和43年3月10日28刷改版 昭和57年6月10日55刷

 

「序」を藪野椋十が書く。「高きより飛びおりるごとき心もて この一生を 終るすべなきか」を引用して「此ア面白い。ふン此の刹那の心を常住に持することが出来たら、至極ぢゃ。面白い処に気が着いたものぢゃ、面白く言ひまはしたものぢゃ」とあった。

 

一握の砂 

 冒頭に「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」、2番目にタイトルとなる「頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず」が来る。

 金田一京助の解説によると、2番目の歌より先にこれを冒頭に持ってきたのは啄木自身による。2番目の歌をどう解釈するかのヒントは、啄木が「小説を書いて成らず、自信を失った」ことにあるようだ。

 39頁に、もっとも有名な「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢと手を見る」が出てくる。啄木は「24歳、朝日新聞に校正係として入社、5月に家族をまとめて初めて東京に家庭をもつ」が、2年後、慢性腹膜炎となり、その翌年亡くなる。貧乏だったようだ。

 

 悲しき玩具

 土岐哀果が啄木のノートのままに、一握の砂以降の歌を「悲しき玩具」と題して第二歌集とした。「感想の最後に『歌は私の悲しい玩具である』とあるのをとってそれを表題にした」とある。

 冒頭に「呼吸すれば、胸の中にて鳴る音あり。凩よりもさびしきその音!」、2番目に「眼閉づれど、心にうかぶ何もなし。さびしくも、また、眼をあけるかな。」とある。全体として物悲しい、悲哀のトーンに包まれている。

 

 詩集を読む習慣があまりなかったが、小説や新書ものとは違った、何か新しい感覚が頭や胸に僅かながらに積もっていく感覚がある。