2016 年 3 月 10 日第 1 刷発行
平安時代、上総の国で、道真の血筋で 5 代目にあたる菅原孝標(たかすえ)女が書いた
「更科日記」。数え年 13 歳の娘が父と上総の国から都に帰るところから物語が始まる。武蔵の国の竹芝寺、足柄越え、遠江・三河・尾張を経て、都に到着するまでが第1章。
第2章は都での日々。優しくしてくれた継母との別れ、乳母との死別など哀しいことが続いたが、源氏物語 50 数巻を手に入れて読みふけることで辛いことも忘れることができる。更科日記の中に源氏物語を読みふける主人公の話が出てくることで当時から源氏物語が大人気であったことが分かる。更科日記の主人公は浮舟に殊更に感情移入していたようだ。
第 3 章ではこの後宮仕えをし結婚もし(相手は 6 歳年上の橘俊通)、転居後の様子が書かれている。そのほかに更級日記がどんな風にして今に伝わったかの解説がある。実は昔の写本の綴じ方が誤ったため更級日記の全体像がつかめなくなってしまったが、大正時代に東山御文庫に更級日記が発見されて綴じ間違いが分かり、歌人で国文学者の佐佐木信綱と国文学者の玉井幸助が整理して昭和になってまともなものが読めるようになったとのことらしい。
ところでどうして更科日記というタイトルになったのか?長野県に更科という土地があ
りそこに姨捨山があるが、この姨捨山のように夫に先立たれ甥っ子が訪ねて来た時に感慨をつぶやいたところから更科日記というタイトルになったとか。ホントなのだろうか?