2013年5月24日発行
初版は1855年7月、36歳の時に出版された。初版以降、56年、60年、67年、71年、81年版がある。初版はすべて無題の、一篇の散文と12篇の詩からなる。中心は「ぼくは、ぼくを祝福する」、ホイットマンの詩集を読んだのは今回が初めてだが、かなり驚いた。形式からして、各頁に文字がずっしり詰まっている、頁が文字で埋め尽くされている。しかも各頁を読んでも、これは何のこと???と、「?」が私の頭の中に沢山ついた。解説を読んで、例えば「豊かに水をまく雨」(618~46)という表現が「射精のこと」を意味すると説明されているが、原文を読み返しても、そういうふうには中々読み取れない。ってことは、どうやってこの詩集を理解し、楽しむことができるのだ??、と「?」をつけずにはいられない、そんなことが結構沢山ある。
それでも、時折、名言らしきものが登場する。ただどうしてこの文脈でこの名言が出てくるのか私にはまだよく理解できていない。
〔アメリカは過去を拒絶しない〕
・・・信念は魂の防腐剤だ・・・
〔ぼくは、ぼくを祝福する。〕
・・・ぼくは、ぼくの尊厳を知っている、
ぼくの魂は、みずからを弁護して理解されたいと悩まない、
根源の法はけっして弁解しない、それはぼくに明らかだ、
思うにぼくは、ぼくが家を建てるとき使う水準器より高慢でない。
ぼくはあるがままに存在する、それで十分だ、
世界でだれも、ぼくの満足に気づかなくても、
だれもがみな、ぼくの満足に気づいても。・・
〔ぼくに近寄れ、〕
〔時間について考える・・・過去を顧みて考える。〕
・・・誓って言う、ぼくはいまあらゆるものが永遠の魂をもつのを見る!
木々はもつ、地面に値をおろし・・・海の草はもつ・・・動物たちも。
誓って言う、ぼくは不滅のほかはなにもないと考える!・・・
〔ぼくは夜ずっとまぼろしを見てさまよう、〕
〔男たち女たちの体はぼくを包囲する、ぼくはそれらを包囲する、〕
〔舗道を散歩しまた田舎の脇道を乗り進むと、そこに顔たちがある、〕
〔若者がその兄からの伝えをもってぼくのところにきた、〕
〔にわかに生気なく物憂いねぐらから、奴隷たちのねぐらから、〕
・・・今日の日に立ち返れ、みずからを新たにせよ。・・・
〔そこ道をあけろ、ジョナンサン!〕
〔ひとりの子どもがいて毎日出かけた、〕
〔だれがぼくの教えを完全に学ぶか?〕
・・・あらゆるものは不滅だ、・・・
・・・そして月が地球を回転し地球とともに回転することは、等しく驚くべきだ、
そしてそれらが太陽や星々と釣合いを保つことは、等しく驚くべきだ。
さ、同じく驚くべきでないものがきみのなかにあるか、ぼくはきみから聞きたい、・・・
〔神話は偉大だ・・・ぼくもまたそれらを愉しむ、〕
・・・いのちは偉大だ・・・現実で神秘的だ・・・どこであれだれであれ、
死は偉大だ・・いのちがすべての部分を束ねるのと同じく確かに、死はすべての部分を束ねる、
星々が光に溶けたあと戻るのと同じく確かに、死はいのちのように偉大だ。・・・
自分にとって比較的分かり易い箇所だけを抜き出すと、こんな感じになるが、もっともっとホイットマンの世界は奥深いというか幅広いというか、言葉にするのは正直難しい。また改めて時間がだいぶ経過したら読み方も変わってくるかもしれないので、いずれ再チャレンジしてみたいと思う。