2022年2月16日初版第1刷発行
著者:1960年生まれ。1989年に国連高等弁務官事務所(UNHCR)に就職。2000年末にUNHCRを退職し、2001年に筑波大学大学院修士課程カウンセリングコース修了。
緒方貞さんの周囲で約12年仕事をした著者による「緒方貞子入門書」である。
緒方の母方の曾祖父は犬養毅。父中村豊一は外交官。夫緒方四十郎は日本銀行の国際関係統括理事。緒方は国際基督教大学で教鞭をとり、上智大学の外国語学部長を務める。1991年2月に第8代国連難民高等弁務官(UNHCR)に就任する以前は、国連人勧委員会の日本政府代表を務めていた。難民条約は「難民の地位に関する条約」(51年条約)と「難民の地位に関する議定書」(67年議定書)をあわせて呼ばれている。難民が難民でない状態になるためには3つの解決策がある(①平和になった故郷に帰る「帰還」、②避難先の国に受け入れられる「庇護国での定住」、③「第三国での定住」)が、UNHCRはこのいずれかの実現を支援する。緒方は、ルワンダでジェノサイドが起きた時、本来は保護の対象範囲に入らない国内難民まで支援の範囲を広げ、難民の定義に拘らなくしていった。緒方は理念を大事にしつつ現実の中で具体的政策を柔軟に考え、政治を動かし軍も動かしていった。
緒方の現場主義。「実態を把握するためには現場に行き、何が不安定の本当の原因かを正しく知る。現場で状況を把握し、そこでどういう解決をしていくかということが大切」。吉川元偉に与えたアドバイスは「二つの国連がある」「一つはニューヨークでああしろ、こうしろと言って物事を決めている国連。もう一つは、私のように現場でその決定を実施して、現場で何かを変えようとしている、動いている国連。ニューヨークに行っても、この動いている国連を忘れてはダメよ。ニューヨークの人になんかなっちゃダメです」。
緒方に強い影響を与えたのは、緒方が一期生として学んだ聖心女子大学の初代学長マザー・ブリット。“自立した人でありなさい。知的な人でありなさい。協力的な人でありなさい”というマザー・プリットの言葉は建学の精神となっている。緒方は、より広がりのある視野を持とうとする好奇心、異なる存在を受容する寛容、対話を重ね自らを省みる柔軟性、氾濫うる情報をより分ける判断力、そうした力の総体こそが求められている、という(『聞き書 緒方貞子回顧録』301頁)。
約10年後の2000年12月に退任した後も、2003年10月にJICAの初代理事長に就任するなど、2019年10月22日、享年92で亡くなる直前まで現場第一主義を貫いた、現代日本を代表する偉人である。