LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の戦い ジェローム・ポーレン 北丸雄二訳(その1)

2019年12月21日第1版第1刷発行

 

表紙裏に「ピンクの三角形、ラヴェンダー狩り、ストーンウォールの反乱、ハーヴィー・ミルクの暗殺、エイズ危機、ヘイトクライム、数々の裁判、同性婚の実現・・・。LGBTの権利を求めて闘った100年にわたる歴史は、一進一退を繰り返しながら、一歩ずつ一歩ずつ、時には劇的に、前へ前へと進められてきました。そこには、決して諦めることのなかった、有名無名を問わないたくさんの『ヒーローたち』の活躍がありました。歴史をつくるのは、人なのです。人と人のつながりが、歴史を動かし、未来を切り開いていくのです。」とある。

第1章 1900年まで 歴史をざっとおさらい

    ソクラテスプラトンはともにゲイ。レズビアンの由来はサッフォーが若い女性だけが入れる学校をレスボス島に作ったところにある。アレキサンダー大王もバイセクシャル。古代中国でも哀帝と董賢の愛情の深さを示す「断袖の契り」という言葉がある。ハドリアヌス帝もバイセクシャルダ・ヴィンチミケランジェロもゲイ。ホイットマンもゲイ。

エマーソン、ソロー、オルコットらがゲイ、レズビアンバイセクシャルだったかどうかは今も議論されている。

第2章 1900年~1930年代 運動の始まり

    1915年、エマ・ゴールドマンオレゴン州で「中間の性:同性愛をめぐる議論」をテーマに講演をした。アメリカでこの話題について講演が行われたのは初めてだった。

    1931年、アメリカ女性初のノーベル平和賞を受賞したジェイン・アダムズ。ロンドンの世界初のセツルメント・ハウスを訪れたのをきっかけに、シカゴでハル・ハウスを立ち上げ、16歳未満の子どもたちの就労を違法化することに成功し、全米黒人地位向上協会アメリカ自由人権協会の創設メンバーに加わった(メアリー・ロゼット・スミスとは死ぬまで40年間パートナーだった)。

    世界で初めてのゲイ人権運動組織は1897年5月にドイツで生まれる(ヒルシュヘルト)。恥辱的的条項撤廃の署名活動にはアインシュタインフロイトトルストイトーマス・マン、ヘッセらも名を連ねる。アメリカでは1920年代にヘンリー・ガーバーがゲイの権利に関するニュースレターを初めて刊行。フランスではパリでスタインとトクラスのカップルのサロンにヘミングウェイピカソマティスらが参加。

    世界初の性転換手術は1930年ベルリンで行われる。男の子として育てられたヴィーグナーはゴトリブと結婚するが、後にエルベと名乗って女性として生きるようになり、世界初の性転換手術を受けた。最も有名なレズビアン小説『さびしさの泉』は英国で出版差し止めになるがアメリカにも持ち込まれた。がレズビアン小説の5倍以上のゲイ小説が1940年代までに書かれていた。

第3章 1940年代~1950年代 暗闇の中で

     エニグマを解読したチューリングオスカー・ワイルドと同じ罪で有罪となり公職を追われて自殺。2009年に英国は正式に謝罪、エリザベス女王も2013年に有罪を撤回する恩赦に署名する。1948年にキンゼイ報告出版(10人に1人がゲイであることを明らかにする)。1951年にはコーリー「アメリカにおける同性愛」出版。ところがアイゼンハワー大統領による弾圧が始まる(共産主義を疑われて解雇された人の2倍が解雇される)。1953年にはデンマークで性転換手術を受けたジョーゲンセンはアメリカに帰国するとスーパースターのような扱いを受ける。1955年にはアメリカではじめてのレズビアン組織が立ち上がる。

 

第4章 1960年代 クローゼットから出て

     1962年、ランディ・ウィッカーはゲイの人権デモを組織し抗議デモを実施。

     様々な団体が組織され、抗議デモを大胆に実施する。1968年、フランク・カムニーは初期LGBT公民権運動のキャッチフレーズ「ゲイはグッドGay Is Good」を思いつき、プラカードを掲げてデモ行進を実施。LGBTの暴動で最初に記録されているものは1959年5月のもの。1963年のワシントン大行進を組織したベイヤード・ラスティンもゲイであったたため、彼を外すように求められたが、キングはラスティン側に立って予定どおり大行進が実施される。今では世界最大となったLGBT教会「メトロポリタン・コミュニティ教会」(MMC)は1970年から挙式を執り行い、今日では世界37カ国、計222教会にまで拡大している(2019年9月現在)。世界中で2000万部も売れた絵本『かいじゅうたちのいるところ』の作者モーリス・センダックもゲイ。同性愛者を扱ったCBSのテレビ番組が初めて放送されたのは1967年。全米放送されたトーク番組の司会者ドナヒューはLGBTコミュニティをきちんと扱う。

(続きは明日)