2006年10月20日初版第1刷発行 2015年6月10日第4刷発行
19世紀ロシアの一裁判官が、「死」と向かい合う過程で味わう心理的葛藤を鋭く描いた『イワン・イリイチの死』。
イリイチは、病死する直前、最も身近にいるはずの家族を疎ましく思い、仕事仲間に対しても本心を打ち明けることができない。そんな中で唯そばにいてくれて安心できたのは台所版のゲラーシムだけだった。
(引用)
彼にはわかっていたー誰ひとり彼を哀れまないのは、誰ひとり彼の置かれた状況を理解しようとさえしないからだった。ただひとりゲラーシムだけが、彼の状況を理解し、彼を哀れんでくれたのである。それゆえに、イワン・イリイチはゲラーシムと一緒にいるときだけ気分が良かった。ゲラーシムは時には一晩中彼の足を支えてくれて、いっこうに退がって寝ようとせず、「どうかご心配なく、ご主人様、まだまだ眠る時間はございます」と言ったり、また時にはにわかにくだけた口調になって、「仮におまえさんが病気でなくても、どうしてお世話せずにいられるもんかね」と言い添えたりしたが、そんな時イワン・イリイチはとてもうれしかった。ゲラーシムだけが嘘をつかなかったし、どう見ても彼だけが事の本質を
わきまえていて、しかもそれを隠す必要を感じず、単にやせこけた弱き主人を哀れんでくれていた。あるとき、彼を退がらせようとしたイワン・イリイチに向かって、彼は率直にこんな言い方さえした。「みんないつかは死ぬのです。お世話するのは当たり前のことですよ」この意味するところはー自分はこの仕事を苦にしていない。なぜならそれは死んでいく人のためにやっているからであり、またいつか自分の番がきたら、誰かがこうして同じことをしてくれるだろうから、というのであった。
場面は、彼が死ぬ直前の彼の独白に切り替わる。
(引用)
両足を相手の肩からはずし、横向きに寝ると、彼にはにわかに自分が惨めに感じられた。かろじてゲラーシムが隣の部屋へ出るまで待っていた彼は、その後はもはやこらえようともせず、まるで子供のように泣き出した。彼は自分の無力さを嘆き、恐ろしい孤独を嘆き、人々の残酷さを嘆き、神の残酷さを嘆き、神の不在を嘆いた。「どうしてこんなことをするのだ? どうして私をこんな目にあわすのだ? 何のため、何のために私をこんなにひどく苦しめるのだ?・・・」彼は答えを予期していなかったが、それでも答えがないことを、答えがありえないことを嘆いた。
そして引き続き、彼の独白は続く。
(引用)
「かつておまえが生きていたように、幸せに、楽しく、か?」声は聞き返した。そこで彼は頭の中で、自分の楽しい人生のうちの最良の瞬間を次々と思い浮かべてみた。しかし不思議なことに、そうした楽しい人生の最良の瞬間は、今やどれもこれも、当時そう思われたのとは似ても似つかぬものに思えた。幼いころの最初のいくつかの思い出をのぞいて、すべてがそうだった。・・・今の彼、つまりイワン・イリイチの原型が形成された時代を思い出し始めるや否や、当時は歓びと感じていた物事がことごとく、今彼の目の前で溶けて薄れ、なにかしら下らぬもの、しばしば唾棄すべきものに変わり果てていくのであった。こうして幼年期を遠ざかって現在に近づけば近づくほどますます、歓びだったことがつまらぬ胡散臭いものへと変貌した。その始まりは法律学校であった。とはいえあのころはまだなにかしら本当によいものがあった。つまり楽しみがあり、友情があり、希望があった。しかし上級になると、もはやそうしたよき瞬間もまれにあった。・・・結婚…そして思いがけぬ幻滅、妻の口臭、肉欲、偽善! それからあの死んだような勤め、それからあの金の苦労―こうして一年がたち、二年がたち、十年がたち、二十年がたった。そしていつも同じことの繰り返しだった。時がたてばたつほど、ますます生気が失われていった。自分では山に登っているつもりが、実は着実に下っていたようなものだった。まさにその通りだ。世間の見方では私は山に登っていたのだが、ちょうど登った分だけ、足元から命が流れ出していたのだ…。そしていまや準備完了、さあ死にたまえ、というわけだ!
そして、独白の途中で、彼の頭はめまぐるしく動く。
(引用)
さて、これはいったいどういうことだ? なぜこうなったんだろう? こんなことはありえないじゃないか。人生がこれほど無意味で、忌まわしいものだったなんて、おかしいじゃないか。それにもしも人生がこれほど忌まわしい、無意味なものだったとしたら、なぜ死ななくてはならない、しかも苦しんで死ななくてはならないんだ?なにかがおかしいぞ。
「ひょっとしたら、私は生き方を誤ったのだろうか?」不意にそんな考えが浮かんだ。「しかし何でもそつなくこなしてきたのに、いったいどうして誤ったのだろう?」そう彼は自問したが、すぐさまこの生と死のすべての謎に対する唯一の解決の糸口を、なにかまったく手に負えぬものとして頭から追い出してしまった。いったい今のおまえは何を望んでいる? 生きることか? どのように生きるんだ?・・・
最期に3日間うめきながら彼は死んでいく。そして最後の独白。
(引用)
彼は自問した。「痛みはどこへいった? おい痛みよ、おまえはどこにいる?」彼は耳をすました。「ほら、ここだぞ。だがかまうな、痛みなど放っておけ」「では、死は?」「死はどこだ?」彼は自分がかねてからなじんできた死の恐怖を探してみたが、見出せなかった。死はどこにある? 死とは何だ? 恐怖はまったくなかった。死がなかったからだ。死の代わりにひとつの光があった。「つまりこれだったのだ!」突然彼は声に出して言った。「なんと歓ばしいことか!」・・・「終わった!」誰かが彼の頭上で言った。彼はその言葉を聞き取り、胸の中で繰り返した。「死は終わった」彼は自分に言った。「もはや死はない」彼はひとつ息を吸い込み、吐く途中で止まったかと思うと、ぐっと身を伸ばして、そのまま死んだ。
臨終の時に果たして何を思うのだろうか。悔いが残らぬように、一日一日を大事に生きていきたい。それにしても、生とは何か、死とは何か、その奥にあるものを見つめようとするトルストイの眼力というのか筆力というのか、さすがである。