目次
プロローグ
第1部 ナポレオンを愛した男
第1章 石原式勉強法
第2章 ライカを片手に
第3章 国難、ベルリンで知る
第2部 王道楽土への道
第1章 関東軍参謀
第2章 満州事変前夜
第3章 満州事変予定変更
第4章 満州国成立
第3部 三宅坂の四季
第1章 石原参謀本部作戦課長
第2章 ハルピンの秋
第3章 大連特務機関
第4章 経済五ヵ年計画
第4部 夢駆ける
第1章 北満ユダヤ国家構想
第2章 建国大学の構想
第3章 満州二世への遺言
あとがき
朝6時起床、夜9時就床。8時から勉強、10時から11時半まではドイツ語、昼は午後2時まで散歩、2時半から6時まで勉強。6時から8時までは夕食、8時から9時までは御書拝読。
昭和7年7月の日本による満州国承認後、石原は満州を去るが、五族協和、満州人による満州国が次第に植民地・満州に変わりつつある姿を耳にしてじっとしておれなくなり、第4連隊長に着任後の翌9年、「満州国育成構想」を参謀本部と陸軍省に具申する。「満州国は、日、漢、朝、蒙、満、諸民族協和の国家なり」と。
5年ぶりに昭和12年10月に関東軍参謀副長として満州再建に乗り出すと満州人による満州国家の機能は片鱗さえも残っていなかった。しかし石原の考えは理解されず昭和13年8月に帰国する。特に蒋介石の立場を理解して満州以外の中国に干渉せず日中戦争でも不拡大方針を取り続けたことが石原の命取りとなって参謀本部を追われる結果となった。
著者はあとがきで、石原莞爾が見直されつつある、中国と戦うな!と激論した昭和12年9月のことが理解されたことで、何かホッとするものがあると述べている。
歴史に、もし、は当然あり得ないが、石原の意見が入れられたなら、と思わないではない。