1991年4月10日発行
やえは山本権八の三女として生まれた。山本家の先祖は山本勘助といわれた。やえの祖父は砲術師範を拝命し、兄覚馬は軍事取調役、大砲頭取になった。やえは12歳の時に火縄銃を扱い野ウサギを仕留めた。嫁いだ後は銃を握ることすら父の権八から禁じられたが、兄の応援を受けて、やえは父が留守の時に銃の稽古を行った。兄はやえに操縦法や兵法を教えた藩医の倅だった。尚之助は、山本家に山本家に投宿し、やえの兄覚馬に心酔し会津に留まった。権八はやえを尚之助に縁づかせることを決めており祝言をあげさせようとしたが、やえは好感を持てなかった。会津の武家の男達の中で育ったやえは、あふれる情熱とやさしさを内に秘めていた会津の男達に比べて、江戸暮らしが長い尚之助は言葉も違い、話しぶりにもそつがなくすべてがお江戸振りでどこか浮薄にみえたからだった。会津藩に欠かせない尚之助を会津に留めるために尚之助と祝言をあげさせようとした権八だったが、藩士でない尚之助が藩士になりたいばかりに山本家に入り込みやえを拐かしたなどと噂が立っても、それは自分の勤めが至らないせいだ、と言う尚之助の顔にひたむきな様子が漂っていたのを見て、やえはやがて祝言を承知した。時は過ぎ、長岡城が陥落し二本松城も奪われ、会津若松城下には西軍が間近に迫っていた。尚之助は、玄武隊の出陣を翌日に控え、権八から離縁せよと迫られた。権八だけでなく、やえからも離別を言われた。やえが銃を教えた隣組の悌次郎は年齢を15歳と偽って白虎隊に志願し中二番隊にいた。屋敷を捨て城籠りするしか道は残されていなかった。やえはスペンサー銃を手にして立ち上り砲撃戦の中で引き金に指をかけた。兄に代わって城内の砲隊を指揮する尚之助の姿を頼もしく思った。やえは髪を切り夜襲隊に志願し敵兵宿所に夜討ちをかけた。父から厳しい注意をうけたやえは照姫のお側役を仰せつかった。鶴ヶ城の東南にある小田山が敵の手に落ち、アームストロング砲が据えられると天守閣に照準を合わせて発砲が始まった。畳を廊下に立て砲弾を防いだ。戦局がいよいよ厳しくなり、主砲である豊岡の四斤砲をやえに任せると尚之助から言われ、六門の大砲を二手に分けて交互に射かけよと下知し小旗を振った。時に照尺を変え弾丸が敵陣に達し始め、砲組の兵たちは活気づきやえを畏敬の眼で見るようになった。老公容保はやえを呼び、敵弾の危害が夥しい事由を説明させると、やえは不発弾から信管を引き抜き、破裂弾の構造を説明した。敵の総攻めに味方が次々と殺され、やえは藩兵の心がすさんでいるのを目の当たりにした。容保は降伏を決意した。やえは権八の討死の報を聞くとともに藩家に縁りのない者は明朝会城に先立ち城を去ることになっていると告げられた。
「走長屋の脇にある篝に尚之助は一人佇んでいた。『をなさっておられます。早く出立の用意をなされませ』炎に赤く彩られた良人を見るなり、やえは声高に言った。良人は口を半分ひらいたまま、やえをみつめかえした。『明朝、出立でございましょう』『そのようなことはできぬ』良人は声を落して視線を背けた。『なぜでございますか。おまえさまには、もう妻女もおりませぬ』やえは押し殺した声で言った。良人の顔には驚きの表情が走り、口を開いたり閉じたりしていた。『おまえさまの妻女やえは敵弾に斃れたのでございます。眼の前にいるのは山本三郎にございます。この頭をごらんなさいませ。これが女子にございますか。この埃にまみれた顔をごらんなさいませ。火薬の匂いの滲みた体をごらんなさいませ。これがまこと女子に見えましょうか。妻女は死したものとお考えくだされ』やえは怒ったように語気を強めていた。口の中は涸き、声がかすれている。眼には熱いものがわきあがってきて、良人の姿が揺らいでみえた。『一たびは城外に出なければならぬ。だが別れは一時のことだ。 後にかならず、そなたは私のもとに来るのだ。いや来てほしい』良人はやえの真正面から視線を注いで、噛んで含めるように言った。『なりませぬ』『なぜだ』甲高い声とともに良人の顔には怪訝そうな表情がやどった。『やえは敵弾に無惨な最後を遂げたのだと申しているではございませぬか』やえはふいに泣き出したい感情が突きあげてきて、後はことばにならなかった。たがいの眼には涙がとめどもなくあふれ、篝の炎が濡れた頬を照らしていた。」
尚之助は翌朝城を出た。やえは藩士たちとともに切腹して鶴ヶ城の空に月となって生き続けようと望んだが、女子と見破られ、やえは母と合流した。勘助の在所に身を寄せ農作業をして暮らしていたところに祖父の代から仕えた小者の忠平が訪ねてきた。薩兵が言うのは覚馬は京の藩邸に囚われているが手厚く遇されているとのこと。若松県役所に出向き覚馬のことを確認すると京都府に登用され重職にあることを知り手紙を送ると、兄から返信が届く。やえや母は京にいくが妻女うらは京に行かないと言う。敵の女子の姿が返信の手紙から浮かび上がったうらはどうあっても京へはいけないと言う。やえは心が変われば京に来てほしい、それだけは承知してくれねば母も自分も京へ出立できないといい、それだけはうらに承知させる。やえは郷里の会津を去っていった。