2023年4月20日第1刷発行
帯封「ピンチをチャンスに変える!元気印14社のトップが秘訣を明かす」「“ニッポンの社長”が語る 活力を失わない会社とは?」
表紙裏「デフレを追い風に大成功したカリスマ創業者の発想法、全国ブランドを捨ててまでローカルに回帰した老舗の覚悟、あるいは世界へ雄飛した〝一〇〇年企業〟の特異な経営哲学など。全14社の経営トップの言葉には、逆境を生き抜く経営のエッセンスが溢れている!」
目次
第一章 カリスマ社長 創業の志 ヨークベニマル サイゼリヤ ダイソー
第二章 継承者の矜持 カインズ サトウ食品 西松屋チェーン キタムラ
第三章 一〇〇年企業の叡智 貝印(KAI)グループ コマツ ミズノ グンゼ
第四章 ローカルに宿るブランド 岩下食品 銚子電気鉄道 崎陽軒
ヨークベニマル 大髙善興会長 地元のスーパーマーケットから「セブンプレミアム」生みの親へ。
サイゼリヤ 正垣泰彦会長 国内千店を超えるイタリアンの店舗モデルは母が導いた「教会」。
ミラノ風ドリアは・・単純計算でざっと400回の改良を重ねている。
ダイソー 矢野博文創業者 「将来を怖がる力」が生んだ“百均”サクセスストーリー。
夫婦2人、2トントラックでの雑貨の移動販売からはじまった「ダイソー」は、国内4300店舗、世界26カ国と地域に合計約2300もの店舗を展開し、「DAISO」のロゴは世界中に広がった。2019年度の年商を5015億円と公表している大創産業。株式非公開会社で、
「よそが100種類出すなら、わしらは300種類並べようとがんばった。時間も手間もお金もかかるけど、お客さんが喜んでくれるのがいちばんうれしかったけえね。常識外れのことをやってきた」「みんな、朝五時半ごろに出ていって、事務所に帰ってくるのは夜の10時半、11時じゃろう。典型的な、3密じゃなくて3K(きつい、汚い、危険)労働じゃけえ。でも、誰も文句をいわんかった。いまの時代だったら絶対に成り立たん。時代がよかったんやろな。金はなかった。みんなに給料を払って、わしだけ給料もらえんかった。つらかったねえ」
1991年には香川県高松市に直営店第1号をオープンする。長引くデフレという荒波に吞み込まれるどころか、むしろそれらを追い風に変えるようにして、ダイソーは売上高と店舗網を拡大してきた。100円硬貨1枚による商いから1円、2円と利益を捻出して成り立つ会社なのであるという忘れてはならぬ本業の精神がその倹つましく清掃の行き届いた社屋に体現されていた。
カインズ 土屋裕雄会長 自主独立路線でも成長し続ける「ホームセンターの雄」。
28都道府県に230店、年商4826億。
サトウ食品 佐藤功会長 社運を賭けて勝負し続けた二代目は、雪国の「半沢直樹」。
西松屋チェーン 大村禎史会長 チェーンストア理論の実践で、「ガラガラ」店舗は本日も好調なり。
ベビー・子供用品専門の西松屋チェーンは国内に全都道府県に店舗展開し1067店、年商1630億。指を挟まないベビーカー開発のために優秀な技術者を招き低価格で提供するなど次々とPB商品を開発。
キタムラ 北村正志ファウンダー・名誉会長 デジカメ、スマホ全盛期に写真専門店が生き残れた理由。
最盛期に年間1兆円産業だったのが2000億円の市場規模に縮小したものの、そのおよそ30%をキタムラグループを占めている。国内で3割のシェアを持つ小売り・サービス業チェーンという存在を寡聞にして知らない。
貝印(KAI)グループ 遠藤宏治会長 グローバル市場へ斬りこんだ“刃物の町”の強者たち。
コマツ 小川啓之社長 北陸から世界へ雄飛した骨太メーカーが培った“企業理念”。
建設機械・鉱山機械の国内最大手にして世界ナンバー2の百年企業「コマツ」
「モノ」づくりだけでなく、さまざまな「コト」を提供する。
建設機械や鉱山機械のメーカーとして国内最大手、世界でも米キャタピラーに次ぐ。
2021年5月、100周年を迎えた。いまも、小松市民のざっと3分の1がコマツ関係者、中小零細を含む地元の関連・取引先企業は五百をくだらない。
海外展開を含めた連結決算で年商3兆円になんなんとする業容にコマツはのし上がる。
販売して終了とはならない。購入とリース式がおよそ50%ずつ。収益を後回しにしてでも品質を第一に重視し、頑として節を曲げぬ姿勢は、創業者が自ら率先垂範し、生き方として貫いてきた。創業者は吉田茂の兄。法律学校として開校していた文系の早稲田大学に多額の援助をし、1908年、理工科(のちの理工学部)を開設するまでに至る。
「コマツウェイ」
「ナゼナゼを5回繰り返そう」という教え
「五感を研ぎ澄ます」
「やってやれないことはない。やらずにできる訳がない」
「故障で止まるなんて恥。俺の腕にかけて、そんなことはさせたくない」
「なんとしてでも俺がやってやる」
「汗をかけ。汗をかかなければ知恵は出ない」
「ダントツを狙おう」「品質最優先。コストを無視せよ」
企業文化は一朝一夕にならず
ミズノ 水野明人社長 「夏の甲子園」と「春のセンバツ」を育んだ野球愛を受け継ぎながら。
グンゼ 佐口敏康社長 祖業をやめてニッチで生きる-。危機感が変えた「パンツの会社」。
「群には群是を」が社名の由来
岩下食品 岩下和了社長 「関東から全国へ」押し上げた父と「家業を企業へ」変えた息子。
銚子電気鉄道 竹本勝紀社長 「鉄道会社なのに自転車操業」。地元の足は“自ギャグ”路線運行中。
帝国データバングは銚子鉄道を、鉄道業ではなく「米菓製造業」と分類。
崎陽軒 野並直文社長(現会長) めざすは真の「ローカルブランド」。信念に辿り着いた横浜物語。
横浜市では餃子を上回り、焼売の購入額が断トツで日本一
崎陽軒は、はじめからシウマイを看板商品にしていたのではない。
シウマイ弁当の容器は、1日に約2万5000食を売る現在でも、水分のバランスを保つため、材木を紙のように薄くスライスした経木きょうぎが使われており、主にふたはアカマツ、底はエゾマツで、北海道の指定メーカーで加工され、横浜と東京の工場に送られる。外枠や、中の仕切りの木材は食品用の糊で貼り合わされる。主原料の豚肉は鮮度を重視し、冷凍物は扱わず、国内産の塊肉を仕入れて自社工場で挽き肉にする。干帆立貝柱は、いうまでもなくオホーツク海産と、横浜の「名物」と銘打ちながら、全国より粋と贅を集めてつくりつづけられている。