藏《四》 宮尾登美子

2008年5月20日発行

 

烈は、意造の2人で、京都の松尾神社に詣で、神社側の計らいで男神様と女神様に拝めた。戻ると、酒の歴史を始めとして意造は烈に酒全般を教え始めたが、水を始めとして直接触れねば教えることはできないと考えた意造は自ら蔵元復活を決意し、烈に手伝いさせることを決断する。せきにも手伝わせることとし、意造と烈は2人で野積の杜氏の晋を訪ねた。晋は烈が女性であろうと全く問題がない、天照大神も女の神様だと言って諸手をあげて歓迎した。晋は組の者を集めていよいよ活動を再開した。烈は皆の邪魔にならぬよう気をつけて話を聞き鼻をきかせていた。仕事場で釜屋の涼太は烈に優しく説明してくれ、好意を持った。 家に帰ってからも涼太の手の温もりを思い出す烈。意造は烈に酒造りを教え始めた。せきが妊娠した。意造の子ではない。佐穂はせきより意造に暇をもらえるよう話をしてくれと頼まれたが、理由を説明せずにそんな話ができるわけもなかった。すると、ある日、せきは突然家を出た。離縁を願い出た。杜氏との信頼関係を維持せねば蔵元は継続できないと考えた意造はこの家で産むように言い、離縁はしないと言った。烈は血の繋がりのない弟妹は認められない、暇をやれと意造に迫る。それができないなら自分だけ隠居部屋に移り親子の縁を切ってくれという。困り果てた意造は流すことを口にするが、今度はせきがそれだけは勘弁してくれという。佐穂が口をはさみ、生まれるまでは家に置き、生まれた後に暇を出してその後のことはゆくゆく考えるということにしてはどうかという提案に皆納得する。せきは死産だった。意造はようやく離縁し、せきはホッとした表情で里に帰った。烈は熱心に浴衣を縫い、涼太にあげたかった。酒造りがおわって涼太が帰って行く前に烈は涼太と結婚したいとの思いを伝えたくて佐穂を頼る。佐穂から聞いた意造は直接烈に絶対に許さないと大反対するが、烈は自ら繕った浴衣を手にして家を出て野積へ涼太を追い掛ける。意造は杜氏の晋に相談すると、涼太は母一人で育てられて給金をそっくり親に仕送りする優しい子で涼太の将来を考えればむしろ烈との結婚に賛成した。意造は晋に2人のことを任せることにした。数日してようやく戻ってきた晋は、意造に対して、涼太は烈に恥をかかせるようなことは出来ないと、反対に涼太を説得するのに骨が折れたと説明し、涼太の母が下男として涼太を奉公させてやってほしいと言い聞かせて連れて帰ることに成功したという。それを聞いて意造は烈と涼太の祝言を上げることを決断する。その直後、意造は佐穂に一緒になってくれと頼むと、佐穂は“はい、よろこんで”と答えた。

作者後記では、烈がその後、輪太郎を出産するが、日中戦争で涼太は召集され、徐州にて戦死しまう。二十歳で未亡人となった烈だったが、田乃内家の当主として藏を維持し続ける。 戦後、農地改革にために田畑を小作人に譲渡し、わずかな土地とかぼそい藏一つを維持したが、嗅覚の鋭い烈は、意造、輪太郎とともに『冬麗』の大吟醸の販売にこぎつけ、幸せな晩年を過ごした。烈は病に倒れ46歳で息を引き取り、意造は90歳、佐穂は79歳で旅立った。

 

あとがきには、実在のモデルはほとんどないとあり、作者の空想の産物だそうだ。ネットには、モデルがいるとも書かれていたが、著者がモデルはほとんどいないという以上、参考にした程度だったのだろう。