朱夏《四》 宮尾登美子

1996年5月10日発行

 

引き揚げに希望を託す綾子だったが、同じ建物で暮らす高齢の男性が天然痘に罹り高熱を発する。幸い誰にも感染せず、春になり、九台に移動して引き揚げが現実的となる。いざ移動当日になり、綾子は荷物を忘れて家に戻ると、綾子とさほど歳の変らぬ利子が下半身を剝きだしにして堕胎している場面を目撃してショックを受ける。再び要に合流すると村田先生夫妻は九台には移動しないかもしれないという(第4章 越冬-営城子(二)(承前))。

九台では集団生活ではなく個別独立した住居があてがわれた。要が八路軍に突然連れていかれて綾子は美那とこの先どうやって生きているのか思案した。要は脱走して綾子の下に帰ってきた。綾子は大豆を炒めて塩で味付けしたものを近所の子供に売り子として売るのを手伝ってもらい、自分で稼ぐことを覚えた。生まれて初めて自分で稼いだことに喜びを感じ、帰宅した要にも日本に帰ったらなりふり構わず一生懸命働くと告げた。8月の末には新京をさして全員出発の正式通達がなされた。帰国をめぐって様々な噂が流れ、病人のいる家族等は引き揚げが難しかった。綾子は家族全員で母国に帰れる喜びに浸った。帰りの道中で土佐出身の弘子に出会い、弘子の家で白米とお味噌汁を1年ぶりに口に入れた。弘子は肌艶の良い老人と金に困らぬ暮らしをしていた。綾子は、かつて弘子を土佐で家に上げてはならぬと言われていただけに、これからも毎日来て食べていったらいいという弘子の誘惑に抵抗した。弘子にビオフェルミンを買う金を借りようと再度弘子を訪ねると、そこに江原がいて日本に財産を持ち帰るために綾子に3000円を持たせた。綾子は500円でビオフェルミンを買った。帰って薬のビンを開けるとアオカビだらけで飲めない。引揚船が佐世保に到着し、女性だけ小さな部屋に招き入れられた。ソ連兵や満人から強姦され性病を移されて治療したければ無料の病院があるという。綾子は否定した。広島から岡山駅が近づいた。綾子はこの530日余は人間一人の一生にも匹敵する長さだとしみじみ思いながら胸の奥深く息を吸い込んで立ち上った(第5章 九台)了。

 

満州での大変な生活や敗戦後の引揚までの生活が冷静な筆致で自叙伝的に描かれた作品。息が止まるような描写が次から次へと登場する。戦争というものが庶民の生活をいかに破壊し尽くすかが学べる。