豪姫夢幻《中》 中村彰彦

2007年11月20日発行

 

秀吉の小田原城攻めが本格化する中、豪姫はガラシャが天下人に逆らってまで信仰を守り抜いていることに興味を持ち、キリスト教を学び始めた。やがて北条氏直を助命し、父氏政ら4名を切腹とすることで秀吉の天下統一は完成した。豪姫は男の子を出産した。幼名八郎と命名された。秀吉は朝鮮出兵を決意し、総勢15万の諸将の名簿を発表した。秀家軍は9番しんがりの役割を命じられ、秀家は総大将を命じられた。淀殿が秀頼を出産し、秀吉は欣喜雀躍した。秀家は大坂に帰坂した。豪姫は2人を懐妊し女の子佐保姫を出産した。明との和平交渉が決裂すると、秀吉は再び朝鮮再征を決意し、秀家は再び渡海した。豪姫は3番目の子を出産した。万丸秀継と名づけられた。秀吉も老い、豪姫に会いたいと望んだ。五奉行五大老を指名し、秀吉は63歳で亡くなった。利家派と家康派の分裂の様相を生じたものの、利家が家康の膝下に屈することで前田家の存続を図った。しかし利家も62歳で亡くなり、三成が隠退を余儀なくされて、家康は天下人と称される存在となった。やがて宇喜多家の内紛のために老臣すら事欠くことになる。石田勢はガラシャの身柄を奪うべく押し寄せ、ガラシャは自ら意志で38歳の生涯を閉じ火を放ってガラシャの現身を石田勢に見せなかった。西軍と東軍の全面衝突は避けられなくなっていた。