豪姫夢幻《上》 中村彰彦

2007年11月20日発行

 

前田利家の娘豪姫は5歳の時秀吉の養女となり、宇喜多秀家の正妻となった。前田利家と秀吉とは互いに良く知った武将同士。柴田勝家と秀吉が対立した際にも利家は表立っては秀吉側に就けないものの、秀吉に通じていることを伝えようとし、秀吉もそれをきちんと受け止める場面はなかなか面白い。秀吉は大阪に安土城を超える大城を築くことにした。元々は石山本願寺跡だったが、信長に本願寺が屈服し直後に不審火で灰燼に帰した所に建造に取り掛かる。小牧・長久手の戦い織田信雄が秀吉と講和したことで、家康は織田家の後継者を助けて秀吉と戦うという大義名分を失い秀吉との宥和関係が芽生えた。島津攻めの前、豪姫の姉の摩阿姫が15歳で、50歳の秀吉の側室となる。月の障りが到来した後、豪姫は部屋にあった花営偃息図聚を手にすると目を離すことができなかった。秀家は10歳の時から湯殿番の侍女に宝茎を吸われた。侍女には宝茎をお育てする役目があった。元服するとおくみをあてがわれて初めて侍女たちのつとめの意味を合点した。島津攻めで宇喜多秀家は初陣を果たし、島津は秀吉軍の前に降伏した。その後、豪姫は宇喜多秀家に嫁いだ。