天下布武 夢どの与一郎《二》 安部龍太郎

2013年12月10日発行

 

石上本願寺を信長5万の兵で取り囲んだが、なかなか落ちない。火薬が尽きてよいはずなのに尽きないのはなぜか。与一郎に仕えた忍びの首無しが摂津守荒木村重が寝返っていることを突き止め、信長に奏上した。与一郎は荒木の子で槍の名手新八郎を連れて有岡城に出向いて荒木と面談した。勿論光秀が荒木と対峙したが、荒木は否定した。結局、荒木は母堂を証人として差し出すことを承知し、新八郎も残って一緒に安土に向かうことになった。やはり荒木は謀叛の心を起こし、新八郎の視るところとなった。荒木は一旦は有岡城を出たが、途中で引き返し有岡城に籠った。信長に秀吉が共に戦場で戦った絆があるので自分が再び荒木を説得すると名乗り出て、荒木と有岡城に出向いて対峙した。荒木には中川清秀に踊らされただけで信長の赦しを得ることができる、秀吉はそれを保証する、その証に秀次を荒木の養子に差し出すとまで述べて、荒木は一旦はその気になる。が荒木の傍で仕えている由良左門は信長の飛車角の秀吉と光秀をここで殺せばよいと助言し、再び荒木はその言に乗る。天守閣の最上階に秀吉、光秀、与一郎らを登らせた。秀吉は最上階で大きく手を振ると、秀吉の軍が城内に入り込んだ。荒木は誓紙を破り捨て、話し合いは物別れに終わった(第5章 有岡城の叛乱、第6章 戦場に絆)。

織田軍と毛利軍との水上の戦いは、織田軍が大砲を密かに買い求めていたことで勝敗は決した。高槻城高山右近が守っていた。右近はキリスト信徒を救うために、妻子を犠牲にして信長の軍門に下った。茨木城は中川清秀が守っていたが、中川は信長と通じていた。玉子の姉範子は荒木と生死を共にする決意を認めた手紙を玉子に届けた。これを見て玉子は与一郎に頼み、信長に会って範子の助命を求めた。その時に高山右近が正しい道を指し示すことを信長に説いた。その言葉を聞いた玉子は感動に全身が泡立った。これが後にキリスト教に玉子が入信する大きなきっかけになった。信長の火薬が少なくなり手に入れようとしてもなかなか手に入らない。ポルトガルからの入手が難しくなったのは世界も激動していたからであった。スペインの妨害か、イギリスとオランダが勢力を伸ばしたからでもあった(第7章 村重を追え)。