夏草の賦《四》 司馬遼太郎

2017年6月10日発行

 

元親は秀吉から茶に招かれた。早速赴くと、かつての仇敵の十河存保も同席しており、薩摩征伐の先鋒を命じられた。軍監は元親が敗れた秀吉の部将仙石権兵衛だった。秀吉の大軍が到着するまで先陣は動くなと命じられていたが、仙石秀久は功に焦り、薩摩の大軍と衝突すると、這う這うの体で権兵衛は逃げ去り、元親の嫡子弥三郎(信親)は700人の兵ともどもに戦死した。十河存保も弥三郎に戦いを嗾けた上で討死にした。菜々の兄の石谷光政も戦死。元親は生きて落ちのびたが、弥三郎の戦死が信じられず、谷忠兵衛に信親の遺体の引き取りを頼む。嫡男信親の死は元親の領土拡張の野望を失わせ、秀吉から加増の沙汰を受けても辞退した。追い討ちをかけるように愛妻菜々が死に、元親は壮気を完全に失い、三人の子のうち末子を相続させたいとの迷妄により跡継ぎとなった盛親は、元親の死後、成り行きに身を任せて石田三成につき、大坂の陣の結果、長曾我部家はあとかたもなくなった。