神の発見 五木寛之 対話者 森一弘

2005年8月10日初版第1刷発行

 

五木の「他力は自力の母である」との言葉はなかなか含蓄がある。他力本願という意味で他力を捉えず、「目に見えない世界が大事」で、「ひとりの自分は、なにか大きな、大自然というか宇宙というか、そういう世界から射してくる、光やエネルギーに支えられている感じがする」と言っている。

かたやカトリック司教の森は「原罪」を「命令に背いたというより、警告を無視した、と解釈したほうがよい」と捉え、「宗教を否定し、排除した近代社会、近代国家は、経済的に人間を充たしても、人間を幸せにすることはできなかった。人々は近代社会、国家の限界を知って、いま宗教を積極的に求めるようになった」という。

その上で「個と集団」の問題にぶつかる宗教の問題について言及しようとするが、残念ながら中途半端な感が否めない。日本と違って韓国にキリスト教が広まったのは土着化が進んだからだと分析する五木は、洋魂なき洋才の限界の問題を指摘する。これに対し森は自分の人生に地に足をつけていけるような信仰が本当の宗教の魂だと言い、日本的なカトリック教会というのがいつかは誕生するのではないかと期待している。

 

仏教徒カトリック司教の組み合わせで、相互理解がどこまで進むのか期待して読んだが、言う程には相互理解が簡単に進むわけではないということが分かったという意味では有益だった。原理的に何が共通して何が異なっているのか、ということをもっと意識して、議論を整理して欲しかったという印象を抱いた。